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ほうじょううじやすしょじょう
北条氏康書状(永禄12年3月13日)

解説

 北条氏康が、上杉家家臣の小中大蔵少輔に、越相和融(越後上杉家と相模北条家の和睦)について、協力を求めた文書です。
 永禄11年(1568)12月隣国甲斐の武田信玄は、天文23年(1554)以来の北条・武田・今川三者の盟約を破り、駿河今川領へ侵攻しました。氏康・氏政は信玄と断交し、今川氏真を支援して援軍を差し向けるとともに、信玄を挟撃し牽制するため、これまで関東支配と関東管領の座を巡って争ってきた宿敵ともいえる越後の上杉謙信との和睦を画策しました。氏康は、この時すでに家督を氏政に譲っていましたが、「御本城様」と称されて氏政の政務を補佐していました。この文書には、詳細については、交渉の任に当たった家臣の遠山左衛門尉(康光)が伝えるとありますが、和睦について同意の旨を示してきた謙信と、その条件について具体的な交渉をすすめ、実現をはかっていたものと考えられます。
 料紙には左右を切り詰めた竪切紙が用いられ、日付の下に氏康の署名と花押があります。なお、左下が方形に欠損しているのは、特殊な封式で糊付けをし、開封のさいに切除する必要があったためで、外交上の機密性を求めたことをうかがわせます。
収蔵先/所蔵者
小田原城天守閣
種別
歴史
所在地/展示場所
〒250-0014 神奈川県小田原市城内6-1 小田原城天守閣

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