おだわらじょうにじゅうやぐらしゃちがわら
小田原城二重櫓鯱瓦
解説
小田原城二の丸の二重櫓に上げられていたものと伝わる鯱瓦です。二の丸の範囲内にあった二重櫓には、二の丸二重櫓のほか、南曲輪東二重櫓、南曲輪西二重櫓、馬屋曲輪二重櫓があり、いずれのものであったかは明らかでありません。小田原城は、明治3年(1870)に廃城が決定され、二の丸および三の丸の諸櫓は、本丸の天守櫓とともに売却され、解体撤去されました。明治4年12月1日発行の横浜の英字新聞『THE FAREAST』紙には、南曲輪西二重櫓の写真が掲載され、大棟上に鯱が確認できますが、撮影の時期は不明で、売却時の条件は明治3年11月10日から晴天60日以内の解体撤去とされているので、この間に解体され、鯱も取外されたものと考えられます。
鯱は瓦製で、頭部と尾部、さらにヒレなどが分割して作られており、接合部には「六」など、へら書きの番付があるほか、「私尾忠」の刻印が確認できます。現状は頭部のみ残されていますが、比較的頭部が小さいスマートなスタイルが特色で、尾部がそろえば1メートルを超える大きさとみられます。昭和35年(1960)の天守閣復興で、大棟に上げる鯱をデザインするさいには、江戸時代の引き図に描かれた鯱とともに、基礎資料となりました。
鯱は瓦製で、頭部と尾部、さらにヒレなどが分割して作られており、接合部には「六」など、へら書きの番付があるほか、「私尾忠」の刻印が確認できます。現状は頭部のみ残されていますが、比較的頭部が小さいスマートなスタイルが特色で、尾部がそろえば1メートルを超える大きさとみられます。昭和35年(1960)の天守閣復興で、大棟に上げる鯱をデザインするさいには、江戸時代の引き図に描かれた鯱とともに、基礎資料となりました。
- 収蔵先/所蔵者
- 小田原城天守閣
- 種別
- 建造物
- 所在地/展示場所
- 〒250-0014 神奈川県小田原市城内6-1 小田原城天守閣