ますだどんおうしょ「ちゃにくらしつつ」
益田鈍翁書「茶にくらしつつ」
解説
「一昨年も去年もことしも 一昨日も 昨日もけふも茶にくらしつゝ」
横井半三郎(夜雨)が絵を描き、益田孝(鈍翁)が賛をつけたもの。簡素で軽妙洒脱な夜雨の画に、鈍翁が流麗な筆致でユーモアを交えた賛をしたためており、二人の関係が実に朗らかで温かなものであったことを伝えるとともに、茶の湯三昧の日々を楽しんでいる様がうかびます。鈍翁と夜雨は親子ほどの歳が離れていましたが、互いに敬愛の念を持ち、様々な交友がありました。
益田鈍翁は、明治から昭和にかけての実業家で、三井財閥を形成しその中心として活躍するなど、数々の功績を残しました。弟の勧めで足を踏み入れた茶の湯の世界でも、自身が収集した美術品を活用した園遊会や茶会を開き、政財界人の社交場となりました。鈍翁によって茶の湯に引き込まれた財界人は数多く、耳庵もその一人です。三井を退いた後は、小田原板橋に造営した広大な掃雲台で茶の湯三昧の日々を過ごすとともに、多くの数寄者たちの交流の場となりました。
横井半三郎(夜雨)が絵を描き、益田孝(鈍翁)が賛をつけたもの。簡素で軽妙洒脱な夜雨の画に、鈍翁が流麗な筆致でユーモアを交えた賛をしたためており、二人の関係が実に朗らかで温かなものであったことを伝えるとともに、茶の湯三昧の日々を楽しんでいる様がうかびます。鈍翁と夜雨は親子ほどの歳が離れていましたが、互いに敬愛の念を持ち、様々な交友がありました。
益田鈍翁は、明治から昭和にかけての実業家で、三井財閥を形成しその中心として活躍するなど、数々の功績を残しました。弟の勧めで足を踏み入れた茶の湯の世界でも、自身が収集した美術品を活用した園遊会や茶会を開き、政財界人の社交場となりました。鈍翁によって茶の湯に引き込まれた財界人は数多く、耳庵もその一人です。三井を退いた後は、小田原板橋に造営した広大な掃雲台で茶の湯三昧の日々を過ごすとともに、多くの数寄者たちの交流の場となりました。
- 収蔵先/所蔵者
- 松永記念館
- 種別
- 美術
- 所在地/展示場所
- 〒250-0034 神奈川県小田原市板橋941-1 松永記念館