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厳選!小田原市収蔵資料(げんせん!おだわらししゅうぞうしりょう)の中から、主に小学校高学年から中学生向けの、小田原の歴史などの学びにつながる親しみやすい資料を紹介します。


中里式土器甕(なかざとしきどきかめ)


この土器の形は甕(かめ)とよばれていて、弥生時代に米作りとともにいろいろな地域で作られるようになりました。 お米を炊いたりスープを作ったりするのに使われていました。お鍋(なべ)みたいですね。 この甕には、片口(かたくち)といわれる少しくぼんだ注ぎ口のようなものがついていて、中里遺跡(なかざといせき)の土器の中でもとても珍しいものです。甕を動かして探してみましょう。もっと詳しく




北条家定書(天正15年7月晦日)(ほうじょうけさだめがき)


これは北条氏(ほうじょうし)が豊臣秀吉(とよとみひでよし)との戦いにそなえ、兵力を確保するために自分の支配している地域に住む人々に出した書状(しょじょう)です。北条軍は、武士だけでなく、百姓(ひゃくしょう)もいたことがわかります。また書状の左側の赤い判子(はんこ)には、何かの動物が描かれています。みんなで考えてみましょう。もっと詳しく




紙本着彩小田原城絵図 文久図(しほんちゃくさいおだわらじょうえず ぶんきゅうず)


これは江戸時代終り、幕末(ばくまつ)の頃の小田原城と城下を描いた絵図です。海岸線には外国船の来航(らいこう)にそなえた台場(だいば)が描かれ、緊張した様子を伝えています。藩士(はんし)の屋敷(やしき)などもわかります。今の地図と重ねて見てみましょう。もっと詳しく




小田原城天守模型 小田原市所有模型(おだわらじょうてんしゅもけい おだわらししょゆうもけい)


江戸時代に作られた小田原城三重天守(さんじゅうてんしゅ)の模型です。実物の20分の1の大きさです。小田原城は地震などの被害で、何度か建て替えや修理が行われたので、この時の検討用に作られたとみられています。屋根や柱の様子などを見てみましょう。もっと詳しく




手裏剣(しゅりけん)


甲賀流(こうがりゅう)の忍術(にんじゅつ)を受け継いで「最後の忍者」と呼ばれた藤田西湖(ふじたせいこ)が集めた手裏剣です。忍者は、変ったさまざまな武器を使い、夜中に敵の陣地(じんち)に忍び込んだり、思わぬところから敵に奇襲(きしゅう)をかけたりしました。北条氏(ほうじょうし)につかえたといわれる「風魔小太郎」(ふうまこたろう)も忍者のひとりです。もっと詳しく




石切図屏風(いしきりずびょうぶ)


江戸時代、江戸城(現在の東京都にある皇居で、天皇が住む場所です。)の石垣(いしがき)を直すために必要な石材を切り出す様子を描いています。山中に出ている岩を切り出して、形を整えて、牛にひかせて運ぶ様子がアニメーションのように動き出します。当時の様子を見てみましょう。もっと詳しく




二宮尊徳生家(にのみやそんとくせいか)


この建物は、江戸時代に多くの村を立て直した二宮尊徳(にのみやそんとく)の生まれた家で、今の小田原市栢山(かやま)にあります。その外見や部屋のつくりは神奈川県西部の農家によく見られるもので、室内には「いろり」など江戸時代に使われていたものが残っています。家の中を見てみましょう。もっと詳しく
 



松永記念館老欅荘・旧松永耳庵別邸、無住庵・松永耳庵田舎家(まつながきねんかんろうきょそう・きゅうまつながじあんべってい、むじゅうあん・まつながじあんいなかや)


これらのうち老欅荘(ろうきょそう)は、松永耳庵(まつながじあん)が、晩年(ばんねん)を過ごした家です。耳庵は、今のみんなが不自由なく電気を使える日常を作った人物です。また、60歳(さい)を迎えた頃から茶を趣味とし、茶人としても広く知られました。部屋の中を見てみましょう。もっと詳しく




唐箕(とうみ)


稲穂(いなほ)から籾(もみ)を分離(ぶんり)した後に、人力で回したハンドルから起こる風力で重い玄米(げんまい)と軽い籾殻(もみがら)を選別する道具です。江戸時代に中国から伝わったといわれています。使われ方を見てみましょう。もっと詳しく
 



「もとゐたお家(童謡)」(もといたおうち どうよう)


この作品は、詩人の北原白秋(きたはらはくしゅう)が、小田原に住んでいたときの家を久しぶりに訪ねたときに作りました。前半では、住む人のいなくなった家のさびしい様子が表されていますが、後半では、鳥や虫など自然の風景は変わらないことが表されています。朗読(ろうどく)を聞くと、日本に昔からある7音、5音を使い、リズミカルに作られていることがわかります。もっと詳しく







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