近世 |
慶安4年(1651)辛卯
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4.24~10.27 稲葉正則,将軍死去による関所備えのため小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
5.1~2 正則,箱根関所を視察する[Ⅰ-27]
5.8 正則,根府川関所を視察する[Ⅰ-27]
6.8 蓮正寺...もっと見る
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近世 |
慶安3年(1650)庚寅閏⑩
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6.16~7.27 稲葉正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
10.25 正則,勅使参府につき振る舞い奉行をつとめる[Ⅰ-4]
この年 穴部村伝左衛門が村内芝地に穴部新田を開発する[風土記]
〃 喜左衛門...もっと見る
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近世 |
慶安2年(1649)己丑
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4.10~23 小田原藩,徳川家綱のはじめての日光社参に供奉し,跡押えをつとめる[寛政譜]
6.22~ 稲葉正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
7.23 正則,小田原城下新馬場にて家中の馬揃えを閲覧する...もっと見る
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近世 |
慶安元年(1648)戊子閏①
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2.22~ 稲葉正則,将軍家光日光社参中の箱根関所等警備のため小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
3.16 小田原藩,領内浦方に船手法度を触れ渡す[Ⅱ-3]
3.━ 正則,箱根関所・根府川関所・矢倉沢関所・御...もっと見る
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近世 |
正保4年(1647)丁亥
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1.17 仙石原村(箱根町)が人別改帳を藩に提出する[県4-331]
4.19~ 稲葉正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
5.5 正則,斎藤利宗危篤につき急きょ参府し見舞う[Ⅰ-4]
5.16~7.28...もっと見る
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近世 |
正保3年(1646)丙戌
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2.29~ 稲葉正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
3.12 正則,土肥筋(湯河原町)のツブラ山で鹿狩をする[湯1-12]
7.30 正則,参府し,その日のうちに飛び地領巡見のため下野国真岡に向けて出発...もっと見る
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近世 |
正保2年(1645)乙酉閏⑤
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1.21 稲葉正則妹お清,酒井忠清の弟酒井忠能と婚礼[Ⅰ-4]
4.18 小田原藩,宇佐見久右衛門らに命じて畑甚五兵衛の長屋で相模国絵図作成に取りかかる[稲葉日記]
5.22~8.16 正則,小田原へ...もっと見る
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近世 |
正保元年(1644)甲申
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2.8~3.28 稲葉正則の有馬湯治中,小田原城在番として斎藤利宗が詰める[Ⅰ-4]
9.30~ 小田原藩,江戸城本丸内桜田御門番をつとめる(以降,江戸城6大門番・火の番を断続的に明暦2年秋までつとめ...もっと見る
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近世 |
寛永20年(1643)癸未
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1.11 稲葉正則,徳川家綱の二ノ丸御宮参りにつき御腰物役をつとめる[Ⅰ-4]
2.4~ 正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
3.━ 家老稲葉三左衛門が私曲で職を追われ,家老田辺権太夫預かりとなる
8....もっと見る
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近世 |
寛永19年(1642)壬午閏⑨
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2.9 稲葉正則,徳川家綱の山王社への御宮参りに際して御腰物役をつとめる[Ⅰ-4]
4.17 将軍家光日光社参につき,正則供奉し,山中火の番を勤める[県4-5]
この年 御厨竈新田開発者でありころびキ...もっと見る
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近世 |
寛永18年(1641)辛巳
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1.30 江戸桶町火災につき,小田原藩,増上寺火消し役をつとめる[Ⅰ-4]
1.~9.━ 小田原藩,江戸城二ノ丸御宮曲輪石垣の御手伝い普請をつとめる[Ⅰ-4]
2.━ 領内の藍瓶役について藍瓶4つを本...もっと見る
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近世 |
寛永17年(1640)庚辰
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2.━~ 小田原藩,東筋・中筋の村に地詰検地を実施する≪寛永の地詰検地≫
4.17 将軍家光日光社参につき,稲葉正則供奉する[Ⅰ-4]
12.5 酒匂村名主五郎右衛門屋敷の蜜柑につき諸役が免除される[...もっと見る
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近世 |
寛永16年(1639)己卯閏⑪
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3.━ 小田原藩,東海道に架かる箱根湯本・須雲川の橋普請を拝命する[Ⅰ-4]
8.2~ 小田原藩,江戸城西丸石垣の御手伝い普請をつとめるが,本丸火災で中止となる[実紀]
8.11 小田原藩,江戸城の灰...もっと見る
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近世 |
寛永15年(1638)戊寅
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5.14 春日局,小田原の藩人事につき稲葉正則と家老田辺権太夫に助言する
6.19 稲葉正則,元服し,後見人として小田原にあった斎藤利宗がその任を解かれる[Ⅰ-4]
8.22~ 正則,小田原に帰城する...もっと見る
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近世 |
寛永14年(1637)丁丑閏③
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9.14 江戸代官町の春日局屋敷に家光御成につき,正則が御小姓踊りを御覧に入れる[Ⅰ-4]
9.━~暮 小田原藩,江戸市ケ谷の御堀浚いの御手伝いをつとめる[Ⅰ-4]
12.2 小田原藩,宮城野村(箱根...もっと見る
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近世 |
寛永13年(1636)丙子
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春~暮 小田原藩,江戸城西丸作事の御手伝いをつとめる[Ⅰ-4]
4.17 将軍家光が家康21回忌法要のため日光社参につき,稲葉正則供奉し,服喪中につき今市に詰める[Ⅰ-4]
8.2 幕府,箱根関所の通...もっと見る
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近世 |
寛永12年(1635)乙亥
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4.28 稲葉正則の領内視察中,三竹村(南足柄市)に御林が設けられ,源右衛門が御林守に任命される[南2-26]
夏 小田原藩,江戸城二ノ丸平川口の櫓・御門の御手伝い普請をつとめる[Ⅰ-4]
12.5 ...もっと見る
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近世 |
寛永11年(1634)甲戌閏⑦
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1.25 稲葉正勝(38),江戸にて病没する(法名養源寺)
2.3 稲葉鶴千代(正則,12),家督を相続し小田原藩主となる[Ⅰ-4]
3.7 鶴千代,江戸城二ノ丸に替えて西丸下に屋敷地を拝領する[県4...もっと見る
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近世 |
寛永10年(1633)癸酉
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1.11 小田原城修築のため縄張りを開始する[県4-8]
1.━ 小田原城本丸・天守閣の修築が公儀普請ではじまる,小田原藩は二の丸・御花畑を自費修復する
3.10 稲葉正勝,佐野領1万石が駿河国駿東郡...もっと見る
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近世 |
寛永9年(1632)壬申
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11.23 幕府年寄(老中)稲葉正勝,4万5000石加増で小田原藩8万5000石の藩主となり,あわせて箱根等関所の警固を拝命する[Ⅰ-4]≪稲葉正勝の小田原入封≫
11.26 御使番土屋勝正,小田原城...もっと見る
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近世 |
寛永8年(1631)辛未閏⑩
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1.11 岡野村(開成町)が代官八木重朋に五人組一札を提出する[Ⅱ-71]
2.6 小田原城代近藤秀用(85)が死去する[寛政譜]
9.21 代官八木,関所周辺の警備強化を根府川村に命じる[Ⅱ-72]...もっと見る
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近世 |
寛永7年(1630)庚午
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9.3 外郎,若衆21名を連れて当麻(相模原市)の市祭に参加する[相州]
10.13 小田原城天守閣用石材の代金が根府川村名主長十郎らに前払いされる[県4-341・342]
12.20 参府途中の尾張...もっと見る
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近世 |
寛永6年(1629)己巳閏②
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5.13 根府川村より根府川石96本を江戸へ搬送する[県4-340]もっと見る
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近世 |
寛永5年(1628)戊辰
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6.27 大久保忠隣(76),蟄居先の佐和山城下石崎で死去する(法名涼池院)[Ⅰ-1]もっと見る
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近世 |
寛永4年(1627)丁卯
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4.━ 幕府代官守屋行広の死去により,八木重朋が足柄上・下郡を管轄する後任代官となる
9.25 板橋村京紺屋津田藤兵衛が紺屋役について江戸京紺屋土屋五郎右衛門を相手取り幕府に訴え出る[県4-339]
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近世 |
寛永3年(1626)丙寅閏④
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3.13 根府川村長十郎,曽根権大夫より村内の石支配を許される[Ⅱ-65]
この年 徳川秀忠・家光上洛に際し仙石原番所を関所とする[県4-286]
〃 風祭村万松院山に新石屋平太夫・半右衛門が石丁場を...もっと見る
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近世 |
寛永2年(1625)乙丑
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この年 岩村(真鶴町)に御三家・蜂須賀家の採石場が設けられる[風土記]
寛永2~3年 幕府先手頭阿部正之,秀忠隠居所計画を前に小田原城を調査する[風土記]もっと見る
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近世 |
寛永元年(1624)甲子
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9.28 大久保忠隣室(石川家成娘),小田原において死去する(法名妙賢院)[県4-2]
この年 近藤秀用,再び小田原城代となる[風土記]
〃 幕府三島代官揖斐政景が小田原町奉行を兼務,同代官森川長次・...もっと見る
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近世 |
元和9年(1623)癸亥閏⑧
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5.14 小田原城夜詰番内藤三十郎・鎮目半弥が上洛途上宿泊中の徳川秀忠の勘気をこうむり遠島処分となる[風土記]
⑧.10 江戸城天守閣の石垣普請に際して石屋善左衛門が石切5人の提出を命じられる[Ⅱ-6...もっと見る
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近世 |
元和8年(1622)壬戌
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11.1 内藤角右衛門・下宮理右衛門,網一色村三次郎の蜜柑役免除を追認する[相州]
この年 幕府領村の管轄代官が中川安孫から守屋行広に代わる
〃 仙石原村(箱根町)に番所が置かれる[県9-交269]≪...もっと見る
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近世 |
元和7年(1621)辛酉
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11.28 旗本黒田直綱,知行地沼代村に年貢免状を発給する[相州]もっと見る
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近世 |
元和6年(1620)庚申閏⑫
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2.2 下宮理右衛門・内藤角右衛門,酒匂川川越し役のため網一色村・原方(山王原村)の諸役負担を免除する[Ⅱ-60]
6.21 幕府年寄が江戸城の石垣普請に際し石屋善左衛門に石工10人の提出を命じる[Ⅱ...もっと見る
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近世 |
元和5年(1619)己未
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2.━ 箱根宿手前に関所が移転する≪箱根関所の移転≫
4.1 板橋村京紺屋藤兵衛,上洛御供の同心衆50人分の染め物御用を拝命する[相州]
10.━ 幕府老中土井利勝の小田原入封の噂がたつ
12.━ 幕...もっと見る
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近世 |
元和4年(1618)戊午閏③
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③.4 国府津村与惣右衛門,植村忠左衛門らより酒匂村出作を許可される[相州]
この年 小田原・三島宿より50軒ずつ移り住み箱根宿が開かれる[県5-161]≪箱根宿≫もっと見る
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近世 |
元和3年(1617)丁巳
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2.15 幕府年寄(老中)が石屋善左衛門に江戸城修築用の石御用を命じる[Ⅱ-54]
2.18~19 徳川家康の棺を久能山より日光へ移す途中,小田原城に泊まる
3.11 酒匂川川越し役を勤める網一色村の...もっと見る
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近世 |
元和2年(1616)丙辰
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4.17 大久保忠隣,家康の死去を聞き蟄居先の佐和山城下石崎で剃髪し道白と号する[県4-2]
8.14 伊勢国配流途中の徳川忠輝,小田原で落髪する[風土記]もっと見る
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近世 |
元和元年(1615)乙卯閏⑥
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4.12 徳川秀忠,江戸より大坂へ向かう途中,小田原城に着陣する[風土記]
夏の陣中 西郷正員が小田原城本丸の御番を勤める[風土記]
夏の陣後 近藤秀用が小田原城代となり[風土記],足柄下郡に1万石の...もっと見る
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近世 |
慶長19年(1614)甲寅
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1.20 大久保忠隣,老中職を罷免され,所領(小田原藩)を没収される≪大久保忠隣の改易≫
1.24 徳川家康,中原御殿から小田原城本丸に入城する[平4-254,風土記]
1.25 徳川秀忠,小田原城に...もっと見る
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近世 |
慶長18年(1613)癸丑
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5.17 大久保忠隣,大久保長安の子青山権之助を預かる
9.21 徳川家康,関東へ鷹狩に出向く途中,小田原城に宿泊する[風土記]
12.7 小田原に預けられていた馬場八左衛門が忠隣の謀反を家康に訴え出...もっと見る
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近世 |
慶長17年(1612)壬子閏⑩
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3.14 徳川秀忠,駿府へ向かう途中,小田原城に宿泊する[風土記]
12.28 将軍秀忠,大久保忠隣邸に御成[実紀]
この年 大久保教隆(忠隣三男)・幸信(同四男),ともに御小姓組番頭となる[寛政譜]もっと見る
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近世 |
慶長16年(1611)辛亥
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3.10 天野金太夫ら,鴨宮新田に移住した浪人の開発地につき翌年まで諸役を免除する[Ⅱ-49]
5.━~ 小田原藩,翌年3月にかけて領内酒匂川右岸地域に検地を実施する≪慶長検地≫
10.9 徳川家康,...もっと見る
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近世 |
慶長15年(1610)甲戌閏②
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10.6 将軍秀忠,大久保忠隣の屋敷に御成,忠隣点茶を献上する[寛政譜]
10.20 徳川家康,放鷹の途中,小田原に宿泊する[風土記]もっと見る
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近世 |
慶長14年(1609)己酉
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10.26 大久保長安,相模土井山(土肥=湯河原)での鉱脈調査を拝命する
10.━ 大垣藩主石川家成死去に際し,嫡孫忠義幼少につき家康・秀忠の命令によって石川忠総が跡式(5万石)を相続する[寛政譜]
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近世 |
慶長13年(1608)戊申
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11.13 浄土宗と日蓮宗の宗論に筋違橋町大蓮寺の僧了的が論衆として参加する[風土記]
この年 鬼柳村に清願寺が開創する[風土記]もっと見る
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近世 |
慶長12年(1607)丁未閏④
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5.20 朝鮮通信使が大蓮寺に宿泊,永禄9年三崎(三浦市)に漂着し,その後小田原近くの唐人村(唐人町カ)に住む元中国船乗員10数人と対面する[中世Ⅰ-571]
この年 大久保成堯(忠隣五男),石川家成...もっと見る
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近世 |
慶長11年(1606)丙午
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1.21 天野金太夫が最明寺(大井町)に寺領を再安堵する[大井1-197]もっと見る
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近世 |
慶長10年(1605)乙巳
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2.26 徳川秀忠,上洛の途中,小田原城に宿泊する[風土記]
4.16 大久保忠隣,秀忠将軍宣下のための参内に騎馬にて供奉する[県4-2]
10.25 徳川家康,伏見よりの下向途中,小田原城に宿泊する...もっと見る
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近世 |
慶長9年(1604)甲辰閏⑧
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2.6 鹿皮御用のため弾左衛門に江戸~小田原間の伝馬手形が発給される
10.25 大久保忠隣,塔ノ峯(箱根町)に登り弾誓に阿弥陀寺境内地を寄進する[風土記]
この頃 根府川村で江戸城用の採石がはじまる...もっと見る
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近世 |
慶長8年(1603)癸卯
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この年 大久保忠隣,秀忠長女千姫の豊臣秀頼への輿入れのため,伏見まで護送する[Ⅰ-1]もっと見る
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近世 |
慶長7年(1602)壬寅
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6.13 大久保忠隣・本多正信,佐竹氏転封後の常陸の国政をみるため水戸に出発する
9.28 天野金太夫ら,鴨宮新田に移住した浪人弥七郎に屋敷地を割り渡す[Ⅱ-47]もっと見る
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