| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1634 |
| 年号 | 寛永11年(1634)甲戌閏⑦ |
| 君主 | 稲葉正勝 稲葉正則 |
| 政治・経済 | 1.25 稲葉正勝(38),江戸にて病没する(法名養源寺) 2.3 稲葉鶴千代(正則,12),家督を相続し小田原藩主となる[Ⅰ-4] 3.7 鶴千代,江戸城二ノ丸に替えて西丸下に屋敷地を拝領する[県4-5] 3.18 鶴千代が継ぎ目御礼のため登城,家老4名も将軍家光にお目見えし上意をたまわる 3.━~ 鶴千代後見人となった旗本斎藤利宗(68,春日局の兄)が小田原に在番する 4.━ 将軍家光の上洛に先立ち,鶴千代,小田原へ初入部する[Ⅰ-4] 6.14 小田原藩,板橋村京紺屋藤兵衛に家光小田原御成用の染め物を命じる[Ⅱ-73] 6.22~23 上洛途中の家光が小田原に宿泊,鶴千代饗応につとめる,箱根御殿焼失のため急きょ小田原連泊となる[Ⅰ-4] 12.29 鶴千代,従五位下・美濃守に叙任し,実名を林羅山命名の正則と改める[Ⅰ-4] |
| 社会・文化 | 1.25 塚田杢助が正勝に殉死する 6.22 箱根御殿が焼失,急いで仮御殿が造られる[県4-5] 秋 高野山常住光院に稲葉正勝の石塔が建立される[Ⅰ-4] この年 山角町の了源寺が廃寺となり(妙光寺となる),のち大久寺が再興する[風土記] 〃 船峯了呑が一丁田町に十王堂(斎円寺)を建立する[風土記] |
| 国内・国際 | 1.29 譜代大名の江戸火消し制度が定められる 3.3 徳川家光,老中と若年寄の職務分担を定める 6.14 幕府,薩摩藩に明との貿易断念を勧告する 6.20~8.20 将軍家光,最後の上洛 ⑦.3 家光,仙洞御所料として7000石を寄贈する ⑦.9 琉球使節,二条城で家光に謁見する ⑦.23 上洛中に江戸城西丸が全焼,のち留守居役酒井忠世が寛永寺に蟄居する 8.4 幕府,譜代大名に妻子の江戸居住を命じる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1634
年号
寛永11年(1634)甲戌閏⑦
君主
稲葉正勝 稲葉正則
政治・経済
1.25 稲葉正勝(38),江戸にて病没する(法名養源寺)
2.3 稲葉鶴千代(正則,12),家督を相続し小田原藩主となる[Ⅰ-4]
3.7 鶴千代,江戸城二ノ丸に替えて西丸下に屋敷地を拝領する[県4-5]
3.18 鶴千代が継ぎ目御礼のため登城,家老4名も将軍家光にお目見えし上意をたまわる
3.━~ 鶴千代後見人となった旗本斎藤利宗(68,春日局の兄)が小田原に在番する
4.━ 将軍家光の上洛に先立ち,鶴千代,小田原へ初入部する[Ⅰ-4]
6.14 小田原藩,板橋村京紺屋藤兵衛に家光小田原御成用の染め物を命じる[Ⅱ-73]
6.22~23 上洛途中の家光が小田原に宿泊,鶴千代饗応につとめる,箱根御殿焼失のため急きょ小田原連泊となる[Ⅰ-4]
12.29 鶴千代,従五位下・美濃守に叙任し,実名を林羅山命名の正則と改める[Ⅰ-4]
社会・文化
1.25 塚田杢助が正勝に殉死する
6.22 箱根御殿が焼失,急いで仮御殿が造られる[県4-5]
秋 高野山常住光院に稲葉正勝の石塔が建立される[Ⅰ-4]
この年 山角町の了源寺が廃寺となり(妙光寺となる),のち大久寺が再興する[風土記]
〃 船峯了呑が一丁田町に十王堂(斎円寺)を建立する[風土記]
国内・国際
1.29 譜代大名の江戸火消し制度が定められる
3.3 徳川家光,老中と若年寄の職務分担を定める
6.14 幕府,薩摩藩に明との貿易断念を勧告する
6.20~8.20 将軍家光,最後の上洛
⑦.3 家光,仙洞御所料として7000石を寄贈する
⑦.9 琉球使節,二条城で家光に謁見する
⑦.23 上洛中に江戸城西丸が全焼,のち留守居役酒井忠世が寛永寺に蟄居する
8.4 幕府,譜代大名に妻子の江戸居住を命じる