| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1649 |
| 年号 | 慶安2年(1649)己丑 |
| 君主 | 稲葉正則 |
| 政治・経済 | 4.10~23 小田原藩,徳川家綱のはじめての日光社参に供奉し,跡押えをつとめる[寛政譜] 6.22~ 稲葉正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4] 7.23 正則,小田原城下新馬場にて家中の馬揃えを閲覧する[Ⅰ-26] 7.24 正則,飯泉村の酒匂河原丁場で家中の鉄砲稽古を視察する[Ⅰ-26] 8.10 正則,船にて参府する(途中,江ノ島・浦賀に宿泊)[Ⅰ-4] 9.10 老中松平信綱が熱海湯治へ向かう途中,酒匂村図書宅で昼休みする[Ⅱ-94] 11.23~翌年2.27 小田原藩,江戸城西丸石垣普請につき石運搬などを手伝う[Ⅰ-4] この年 中里村に新屋村が合併される |
| 社会・文化 | 2.8 キリシタン容疑の布施弥一左衛門が成敗となる[稲葉日記] 5.24 稲葉正則,早川村海蔵寺・同村久翁寺・栢山村善栄寺・久野村総世寺・塚原村長泉院・同村天王院・板橋村香林寺・土肥村保善院・下野国山本村道場・常陸国大増村不動院に寺領安堵状を発給する[Ⅰ-25]≪寺領安堵≫ 5.28 御厨領東田中村(御殿場市)のころびキリシタン傑心が病死,幕府へ届け出る[Ⅱ-93] 8.24 千代村蓮華寺に寺領安堵の朱印状が交付される[Ⅰ-11] 11.17 国府津村真楽寺に寺領安堵の朱印状が発給される[県4-418] この年 日周が板橋村に蓮生寺を開山する[県4-284] |
| 国内・国際 | 2.10 幕府,町人の絹服着用を禁止する 6.20 大地震で江戸城の石垣等が崩れる 10.━ 明の鄭成功が幕府に再び援軍派遣を要請する 11.28~ オランダ商館長に随伴して参府した外科医カスパル,西洋流医術を伝える |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1649
年号
慶安2年(1649)己丑
君主
稲葉正則
政治・経済
4.10~23 小田原藩,徳川家綱のはじめての日光社参に供奉し,跡押えをつとめる[寛政譜]
6.22~ 稲葉正則,小田原へ帰城する[Ⅰ-4]
7.23 正則,小田原城下新馬場にて家中の馬揃えを閲覧する[Ⅰ-26]
7.24 正則,飯泉村の酒匂河原丁場で家中の鉄砲稽古を視察する[Ⅰ-26]
8.10 正則,船にて参府する(途中,江ノ島・浦賀に宿泊)[Ⅰ-4]
9.10 老中松平信綱が熱海湯治へ向かう途中,酒匂村図書宅で昼休みする[Ⅱ-94]
11.23~翌年2.27 小田原藩,江戸城西丸石垣普請につき石運搬などを手伝う[Ⅰ-4]
この年 中里村に新屋村が合併される
社会・文化
2.8 キリシタン容疑の布施弥一左衛門が成敗となる[稲葉日記]
5.24 稲葉正則,早川村海蔵寺・同村久翁寺・栢山村善栄寺・久野村総世寺・塚原村長泉院・同村天王院・板橋村香林寺・土肥村保善院・下野国山本村道場・常陸国大増村不動院に寺領安堵状を発給する[Ⅰ-25]≪寺領安堵≫
5.28 御厨領東田中村(御殿場市)のころびキリシタン傑心が病死,幕府へ届け出る[Ⅱ-93]
8.24 千代村蓮華寺に寺領安堵の朱印状が交付される[Ⅰ-11]
11.17 国府津村真楽寺に寺領安堵の朱印状が発給される[県4-418]
この年 日周が板橋村に蓮生寺を開山する[県4-284]
国内・国際
2.10 幕府,町人の絹服着用を禁止する
6.20 大地震で江戸城の石垣等が崩れる
10.━ 明の鄭成功が幕府に再び援軍派遣を要請する
11.28~ オランダ商館長に随伴して参府した外科医カスパル,西洋流医術を伝える