| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1632 |
| 年号 | 寛永9年(1632)壬申 |
| 君主 | 稲葉正勝 |
| 政治・経済 | 11.23 幕府年寄(老中)稲葉正勝,4万5000石加増で小田原藩8万5000石の藩主となり,あわせて箱根等関所の警固を拝命する[Ⅰ-4]≪稲葉正勝の小田原入封≫ 11.26 御使番土屋勝正,小田原城を稲葉家に引き渡す[風土記] 12.10 豊前小倉藩主細川忠利,正勝が1か月のうち20日間は小田原で休息するよう将軍家光の上意を拝命した旨,国元の忠興に申し送る 12.25 正勝,小田原初入部の暇を賜う[寛政譜] この年 正勝,小田原拝領後に「相州小田原古絵図」(加藤図)を受け取る[城郭-図1] |
| 社会・文化 | 8.━ 本多三弥左衛門が国府津村真楽寺の名号石に石灯籠を寄進する[風土記] |
| 国内・国際 | 1.24 徳川秀忠(54),死去する(法名台徳院) 6.1 徳川家光,「御代始めの御法度」として熊本藩主加藤忠広を改易にする 6.18~8.30 稲葉正勝,上使として熊本城請け取りに出張する[県4-8] 9.29 幕府,旗本諸法度を定めて末期養子を禁止する 10.20 駿府藩主徳川忠長が改易となり,高崎藩預けとなる 12.17 幕府,総目付(大目付)を置く |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1632
年号
寛永9年(1632)壬申
君主
稲葉正勝
政治・経済
11.23 幕府年寄(老中)稲葉正勝,4万5000石加増で小田原藩8万5000石の藩主となり,あわせて箱根等関所の警固を拝命する[Ⅰ-4]≪稲葉正勝の小田原入封≫
11.26 御使番土屋勝正,小田原城を稲葉家に引き渡す[風土記]
12.10 豊前小倉藩主細川忠利,正勝が1か月のうち20日間は小田原で休息するよう将軍家光の上意を拝命した旨,国元の忠興に申し送る
12.25 正勝,小田原初入部の暇を賜う[寛政譜]
この年 正勝,小田原拝領後に「相州小田原古絵図」(加藤図)を受け取る[城郭-図1]
社会・文化
8.━ 本多三弥左衛門が国府津村真楽寺の名号石に石灯籠を寄進する[風土記]
国内・国際
1.24 徳川秀忠(54),死去する(法名台徳院)
6.1 徳川家光,「御代始めの御法度」として熊本藩主加藤忠広を改易にする
6.18~8.30 稲葉正勝,上使として熊本城請け取りに出張する[県4-8]
9.29 幕府,旗本諸法度を定めて末期養子を禁止する
10.20 駿府藩主徳川忠長が改易となり,高崎藩預けとなる
12.17 幕府,総目付(大目付)を置く