| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1671 |
| 年号 | 寛文11年(1671)辛亥 |
| 君主 | 稲葉正則 |
| 政治・経済 | 1.29 御厨領上古城村(小山町)が楮植え付け状況の見分を藩に要請する[小山2-160] 2.~10.━ 豆州鎌田村(伊東市)の川洞・谷城田で金鉱の試掘が行われる[伊資-朝日1] 4.1~22 稲葉正則,日光にて家光21回忌法要の奉行をつとめる[Ⅰ-4] 10.28~翌年⑥.━ 小田原藩,三島大明神の修復を担当する[Ⅰ-4] 11.17 正則,江戸城紅葉山御用向き担当を拝命する[県4-5] この年 小田原藩,真岡領村に検地を実施する≪真岡領検地≫ 〃 御厨領で阿多野新田が開発され名主長右衛門に新田十分一が割り与えられる[小山3-30] |
| 社会・文化 | 2.7 稲葉正則,真岡領内8か寺に寺領安堵証文を発給する[Ⅰ-4] 5.27 延清村領主の旗本鵜殿氏信が死去,のち妙了寺に供養塔が建てられる 5.━ 山角町大久寺が由緒を書き上げる[県4-430] 8.27 大雨により川村岸(山北町)の岩流瀬川除け堤が決壊する[南3-93] 11.25 正則,玉伝寺の寺領を再安堵する[相州] この年 千津島村(南足柄市)鵜塚太郎左衛門が曽比村宗般寺の梵鐘を鋳造する[風土記] |
| 国内・国際 | 3.24 仙台藩国家老原田甲斐,酒井忠清邸での審問中刃傷におよぶ(伊達騒動) 7.29 幕府,難破船の救助方法を諸港に通達する 7.━ 河村瑞賢,房総半島を廻る東廻航路を整備する 10.22 山崎闇斎が吉川惟足より垂加神道の号を贈られる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1671
年号
寛文11年(1671)辛亥
君主
稲葉正則
政治・経済
1.29 御厨領上古城村(小山町)が楮植え付け状況の見分を藩に要請する[小山2-160]
2.~10.━ 豆州鎌田村(伊東市)の川洞・谷城田で金鉱の試掘が行われる[伊資-朝日1]
4.1~22 稲葉正則,日光にて家光21回忌法要の奉行をつとめる[Ⅰ-4]
10.28~翌年⑥.━ 小田原藩,三島大明神の修復を担当する[Ⅰ-4]
11.17 正則,江戸城紅葉山御用向き担当を拝命する[県4-5]
この年 小田原藩,真岡領村に検地を実施する≪真岡領検地≫
〃 御厨領で阿多野新田が開発され名主長右衛門に新田十分一が割り与えられる[小山3-30]
社会・文化
2.7 稲葉正則,真岡領内8か寺に寺領安堵証文を発給する[Ⅰ-4]
5.27 延清村領主の旗本鵜殿氏信が死去,のち妙了寺に供養塔が建てられる
5.━ 山角町大久寺が由緒を書き上げる[県4-430]
8.27 大雨により川村岸(山北町)の岩流瀬川除け堤が決壊する[南3-93]
11.25 正則,玉伝寺の寺領を再安堵する[相州]
この年 千津島村(南足柄市)鵜塚太郎左衛門が曽比村宗般寺の梵鐘を鋳造する[風土記]
国内・国際
3.24 仙台藩国家老原田甲斐,酒井忠清邸での審問中刃傷におよぶ(伊達騒動)
7.29 幕府,難破船の救助方法を諸港に通達する
7.━ 河村瑞賢,房総半島を廻る東廻航路を整備する
10.22 山崎闇斎が吉川惟足より垂加神道の号を贈られる