| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1682 |
| 年号 | 天和2年(1682)壬戌 |
| 君主 | 稲葉正則 |
| 政治・経済 | 1.15 稲葉正通の神田橋内の屋敷を堀田正俊の長男正仲に譲る[県4-5] 1.26 小田原藩,2年続きの不作につき,昨年暮れ未進分の納入を免除する[Ⅱ-208] 3.2 小田原藩,三崎村小川久兵衛・真鶴村廻船宿三大夫の日頃の尽力を褒賞する[県4-240] 3.17 小田原藩,幕府より箱根関所の番所・木戸の建て直しを命じられる[県4-241] 3.~4.━ 小田原城下の新馬場に新足軽の長屋が設けられる[Ⅰ-196] 4.4 小田原藩,年貢米について1俵=3斗7升詰めに改め,河内川・狩川・御厨川以外の川運上を廃止する[県4-242・243] 4.14 小田原藩,御留め川以外での川網漁を解禁する[県4-244] 4.16 小田原藩,年貢の収奪が厳しく領民が苦しんでいるとして真岡・柿岡奉行庄野十兵衛を解任する[県4-245] 4.21 稲葉正倚,1000石を加増され,上野国で合計4000石を知行する[寛政譜] 6.1 山王原村店借彦右衛門が江戸商人から細物仕入れ金未納につき訴えられ,内済する[県4-394] 6.13 小田原城下の揚土に酒井忠能室(正則妹お清)の屋敷(日向屋敷)が完成する[Ⅰ-199] 8.26 稲葉正則,小田原八幡山に住む御抱え鍛冶辻村清平作の刀2腰・脇差3腰を将軍に献上する[Ⅰ-4] 10.27 正則,浅草川辺の浜屋敷を公儀に返上する[Ⅰ-4] この年 岩流瀬土手が築造される[県5-259] 〃 小田原藩,田方検見を廃止し,村の内検での年貢上納とする[南2-170] |
| 社会・文化 | 3.19 岩村(真鶴町)清兵衛の廻船が暴風雨で遭難し,乗組員13名を乗せたまま蝦夷地クスリ(釧路市)付近に漂着,松前藩の援助により6月7日江戸に戻る[県4-395] 5.9 堀内村(湯河原町)治兵衛・門川村七兵衛と江戸呉服町五兵衛との売り掛け金出入りについて,小田原藩が間に入り内済する[湯1-12] 7.25 稲葉正則,栢山村善栄寺・板橋村香林寺・早川村海蔵寺・井ノ口村(中井町)米倉寺・塚原村(南足柄市)長泉院・上大井村(大井町)三島神社・金子村最明寺・宮上村(湯河原町)保善院・御厨領生土村(小山町)乗光寺・中島村勝福寺の寺社領を安堵する[県4-422~427など]≪正則の寺社領安堵≫ |
| 国内・国際 | 3.12 駿河国今泉村(富士市)の孝行者五郎右衛門が将軍より表彰される 5.━ 幕府,忠孝奨励・偽薬禁止・キリスト教禁止の高札(忠孝札)を諸国に立てる 6.14 幕府,勘定吟味役を置く 7.28 木下順庵が幕府儒官として召し抱えられ綱吉の侍講となる 9.18 幕府,倹約の模範として安宅丸破却を発表する 10.━ 井原西鶴が浮世草子「好色一代男」を刊行する 12.25 吉田神道の継承者吉川惟足が幕府の神道方に就任する 12.28 江戸大火(お七火事),焼死者3500人 |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1682
年号
天和2年(1682)壬戌
君主
稲葉正則
政治・経済
1.15 稲葉正通の神田橋内の屋敷を堀田正俊の長男正仲に譲る[県4-5]
1.26 小田原藩,2年続きの不作につき,昨年暮れ未進分の納入を免除する[Ⅱ-208]
3.2 小田原藩,三崎村小川久兵衛・真鶴村廻船宿三大夫の日頃の尽力を褒賞する[県4-240]
3.17 小田原藩,幕府より箱根関所の番所・木戸の建て直しを命じられる[県4-241]
3.~4.━ 小田原城下の新馬場に新足軽の長屋が設けられる[Ⅰ-196]
4.4 小田原藩,年貢米について1俵=3斗7升詰めに改め,河内川・狩川・御厨川以外の川運上を廃止する[県4-242・243]
4.14 小田原藩,御留め川以外での川網漁を解禁する[県4-244]
4.16 小田原藩,年貢の収奪が厳しく領民が苦しんでいるとして真岡・柿岡奉行庄野十兵衛を解任する[県4-245]
4.21 稲葉正倚,1000石を加増され,上野国で合計4000石を知行する[寛政譜]
6.1 山王原村店借彦右衛門が江戸商人から細物仕入れ金未納につき訴えられ,内済する[県4-394]
6.13 小田原城下の揚土に酒井忠能室(正則妹お清)の屋敷(日向屋敷)が完成する[Ⅰ-199]
8.26 稲葉正則,小田原八幡山に住む御抱え鍛冶辻村清平作の刀2腰・脇差3腰を将軍に献上する[Ⅰ-4]
10.27 正則,浅草川辺の浜屋敷を公儀に返上する[Ⅰ-4]
この年 岩流瀬土手が築造される[県5-259]
〃 小田原藩,田方検見を廃止し,村の内検での年貢上納とする[南2-170]
社会・文化
3.19 岩村(真鶴町)清兵衛の廻船が暴風雨で遭難し,乗組員13名を乗せたまま蝦夷地クスリ(釧路市)付近に漂着,松前藩の援助により6月7日江戸に戻る[県4-395]
5.9 堀内村(湯河原町)治兵衛・門川村七兵衛と江戸呉服町五兵衛との売り掛け金出入りについて,小田原藩が間に入り内済する[湯1-12]
7.25 稲葉正則,栢山村善栄寺・板橋村香林寺・早川村海蔵寺・井ノ口村(中井町)米倉寺・塚原村(南足柄市)長泉院・上大井村(大井町)三島神社・金子村最明寺・宮上村(湯河原町)保善院・御厨領生土村(小山町)乗光寺・中島村勝福寺の寺社領を安堵する[県4-422~427など]≪正則の寺社領安堵≫
国内・国際
3.12 駿河国今泉村(富士市)の孝行者五郎右衛門が将軍より表彰される
5.━ 幕府,忠孝奨励・偽薬禁止・キリスト教禁止の高札(忠孝札)を諸国に立てる
6.14 幕府,勘定吟味役を置く
7.28 木下順庵が幕府儒官として召し抱えられ綱吉の侍講となる
9.18 幕府,倹約の模範として安宅丸破却を発表する
10.━ 井原西鶴が浮世草子「好色一代男」を刊行する
12.25 吉田神道の継承者吉川惟足が幕府の神道方に就任する
12.28 江戸大火(お七火事),焼死者3500人