| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1705 |
| 年号 | 宝永2年(1705)乙酉閏④ |
| 君主 | 大久保忠増 |
| 政治・経済 | 3.3 大久保忠増,綱吉の右大臣任官を報告するため日光に代参する[Ⅰ-2] 3.28~5.25 忠増,小田原へ帰城する 4.━ 忠増,小田原城の修復箇所,および箱根・根府川関所等を視察する[Ⅰ-2] 〃 地震後の小田原城修復工事が完了し,復興記念碑文を天守閣石垣石に刻む[城郭-20] 6.14 小田原城二の丸堀浚い人足が領内へ家並高100石に3人の割合で割り付けられる[Ⅱ-265] 9.21 忠増(50),幕府老中に就任する[Ⅰ-2]≪大久保忠増の老中就任≫ 9.22 大久保忠朝,受領名加賀守を忠増に譲り,木工頭に改める[Ⅰ-1] 11.━ 木賀湯宿(箱根町)太郎兵衛,公儀汲み湯の褒美として米15俵を支給される[Ⅱ-267] 12.27 小田原台宿町に移住した半左衛門が借金返済のため千津島村(南足柄市)の名田等を有り合わせに売り渡す[南2-123] 12.━ 小田原城天守閣再興につき棟札が作成される[城郭-21] この年 小田原城天守閣修築用材を富士山麓の御林より伐り出す[裾3-51] |
| 社会・文化 | ④.20 御厨領須走村(小山町)が富士導者宿引からくり停止を申し合わせる[小山2-523] 6.22 大雨で黄瀬川の土手が水窪村(裾野市)で決壊する[裾3-51] 6.30 大雨により岩流瀬土手が決壊する[県5-259]≪宝永酉の満水≫ 秋 飯泉村勝福寺観音堂再建のため曽我原村相原曽右衛門が願主となり領内を勧進して廻る この年 岡野村(開成町)が不作につき御救い米5俵余を藩より借用する[開1-181] |
| 国内・国際 | 春~夏 伊勢神宮へのお蔭参りが流行する ④.10 奈良の東大寺大仏殿が再建される ④.━ 幕府,金・銀箔座を設ける 5.━ 幕府,大名・旗本に倹約令を出す 〃 大坂の豪商淀屋辰五郎,贅沢をとがめられ財産が闕所(没収)となる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1705
年号
宝永2年(1705)乙酉閏④
君主
大久保忠増
政治・経済
3.3 大久保忠増,綱吉の右大臣任官を報告するため日光に代参する[Ⅰ-2]
3.28~5.25 忠増,小田原へ帰城する
4.━ 忠増,小田原城の修復箇所,および箱根・根府川関所等を視察する[Ⅰ-2]
〃 地震後の小田原城修復工事が完了し,復興記念碑文を天守閣石垣石に刻む[城郭-20]
6.14 小田原城二の丸堀浚い人足が領内へ家並高100石に3人の割合で割り付けられる[Ⅱ-265]
9.21 忠増(50),幕府老中に就任する[Ⅰ-2]≪大久保忠増の老中就任≫
9.22 大久保忠朝,受領名加賀守を忠増に譲り,木工頭に改める[Ⅰ-1]
11.━ 木賀湯宿(箱根町)太郎兵衛,公儀汲み湯の褒美として米15俵を支給される[Ⅱ-267]
12.27 小田原台宿町に移住した半左衛門が借金返済のため千津島村(南足柄市)の名田等を有り合わせに売り渡す[南2-123]
12.━ 小田原城天守閣再興につき棟札が作成される[城郭-21]
この年 小田原城天守閣修築用材を富士山麓の御林より伐り出す[裾3-51]
社会・文化
④.20 御厨領須走村(小山町)が富士導者宿引からくり停止を申し合わせる[小山2-523]
6.22 大雨で黄瀬川の土手が水窪村(裾野市)で決壊する[裾3-51]
6.30 大雨により岩流瀬土手が決壊する[県5-259]≪宝永酉の満水≫
秋 飯泉村勝福寺観音堂再建のため曽我原村相原曽右衛門が願主となり領内を勧進して廻る
この年 岡野村(開成町)が不作につき御救い米5俵余を藩より借用する[開1-181]
国内・国際
春~夏 伊勢神宮へのお蔭参りが流行する
④.10 奈良の東大寺大仏殿が再建される
④.━ 幕府,金・銀箔座を設ける
5.━ 幕府,大名・旗本に倹約令を出す
〃 大坂の豪商淀屋辰五郎,贅沢をとがめられ財産が闕所(没収)となる