| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1721 |
| 年号 | 享保6年(1721)辛丑閏⑦ |
| 君主 | 大久保忠方 |
| 政治・経済 | 1.━ 千度小路の浦高札場の隣に廻船掟をかかげる浦賀高札場を設ける[風土記] 2.26 船改番所の浦賀移転につき浦賀奉行所から沿岸村に船改が通知される[真資-13] 3.12~6.7 大久保忠英(忠方),小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 3.━ 小田原藩,家中の3度目の養子を禁止する[Ⅰ-16] ⑦.━ 西大井村義右衛門が風祭村平兵衛に酒造株を売り渡す[Ⅱ-337] 9.━ 矢倉沢関所修復につき掛り村19か村から普請用縄・人足を差し出す[南3-179] 11.26 元禄16年大地震後の小田原城修築工事の完了を幕府に届け出る[Ⅰ-2] この年 津藩が酒匂川右岸につき御手伝い普請を実施するが大水により竣工せず[県5-259] |
| 社会・文化 | 2.9 江戸四谷よりの出火により小田原藩麻布下屋敷が類焼する[Ⅰ-2] 3.11 吉浜・鍛冶屋村と岩・真鶴・福浦3か村(湯河原町・真鶴町)との間の苅敷場争論について代官裁許により5か村の入会場19か所が設定される[真資-102] 春 御厨領山之尻村(御殿場市)高畑で祭礼(村芝居)をはじめて行う[御叢2-1-78] 7.29 大口堤水下6か村が飢人扶持の拝借を代官伊奈忠逵に願い出る[南2-125] |
| 国内・国際 | 2.━ 川崎宿本陣・名主の田中休愚が農政書「民間省要」を著し,のち将軍に献上される 6.21 幕府,全国的な人口・農地調査の実施を布達する ⑦.━ 勘定所機構を訴訟担当の公事方と農財政担当の勝手方に2分する 8.2 将軍への直訴を取り上げるため評定所の前に目安箱が設置される |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1721
年号
享保6年(1721)辛丑閏⑦
君主
大久保忠方
政治・経済
1.━ 千度小路の浦高札場の隣に廻船掟をかかげる浦賀高札場を設ける[風土記]
2.26 船改番所の浦賀移転につき浦賀奉行所から沿岸村に船改が通知される[真資-13]
3.12~6.7 大久保忠英(忠方),小田原へ帰城する[Ⅰ-2]
3.━ 小田原藩,家中の3度目の養子を禁止する[Ⅰ-16]
⑦.━ 西大井村義右衛門が風祭村平兵衛に酒造株を売り渡す[Ⅱ-337]
9.━ 矢倉沢関所修復につき掛り村19か村から普請用縄・人足を差し出す[南3-179]
11.26 元禄16年大地震後の小田原城修築工事の完了を幕府に届け出る[Ⅰ-2]
この年 津藩が酒匂川右岸につき御手伝い普請を実施するが大水により竣工せず[県5-259]
社会・文化
2.9 江戸四谷よりの出火により小田原藩麻布下屋敷が類焼する[Ⅰ-2]
3.11 吉浜・鍛冶屋村と岩・真鶴・福浦3か村(湯河原町・真鶴町)との間の苅敷場争論について代官裁許により5か村の入会場19か所が設定される[真資-102]
春 御厨領山之尻村(御殿場市)高畑で祭礼(村芝居)をはじめて行う[御叢2-1-78]
7.29 大口堤水下6か村が飢人扶持の拝借を代官伊奈忠逵に願い出る[南2-125]
国内・国際
2.━ 川崎宿本陣・名主の田中休愚が農政書「民間省要」を著し,のち将軍に献上される
6.21 幕府,全国的な人口・農地調査の実施を布達する
⑦.━ 勘定所機構を訴訟担当の公事方と農財政担当の勝手方に2分する
8.2 将軍への直訴を取り上げるため評定所の前に目安箱が設置される