| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1727 |
| 年号 | 享保12年(1727)丁未閏① |
| 君主 | 大久保忠方 |
| 政治・経済 | ①.5 酒匂川の流路を東に戻す川除け普請にともない,流域2万7000石が幕府代官岩手信猶支配となる[Ⅰ-2]≪酒匂川流域の再上知≫ ①.27 大久保忠郁(忠方),参府する[Ⅰ-2] ①.~5.━ 酒匂川東岸金手村(大井町)~飯泉村,西岸下吉田島村(開成町)~蓮正寺村の川除け普請が公儀普請で行われる[Ⅰ-215] 6.━ 小田原藩領および上知された元小田原藩領に倹約令が触れ出される[Ⅱ-15] 8.━ 大岡忠相,酒匂川の川除け普請現場を視察する[Ⅰ-213] 8.28~ 忠郁(忠方),小田原へ帰城する[Ⅰ-2] この年 幕府代官岩手信猶,管轄領村に対して反取り検見制に替え有毛取り制を導入する |
| 社会・文化 | 1.15 家中の剣術家金成与九郎,江戸芝金杉橋の斬り合いで負傷し小田原で死亡する 1.━ 小田原町の若者仲間が解散する[町誌上] 4.━ 府川村惣百姓が川除け普請人足賃の割り渡し方等につき名主を訴える[Ⅰ-216] 11.━ 小田原町・郷方の人びとと巡礼者が飯泉村勝福寺に供養塔を寄進する(石工は代官町朝倉清八郎)[金石3-47] |
| 国内・国際 | 4.━ 幕府,農作物の猪・鹿害を防ぐため関東8国での「おどし鉄砲」使用を認める 7.26 カンボジア船が長崎に来航,通商を求める 10.15 下総国の飯沼の新田開発が終わり,検地を受ける(総面積1525町余) 12.9 甲府で大火,城下の大半を焼失する この年 儒学者荻生徂徠,意見書「政談」を著す |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1727
年号
享保12年(1727)丁未閏①
君主
大久保忠方
政治・経済
①.5 酒匂川の流路を東に戻す川除け普請にともない,流域2万7000石が幕府代官岩手信猶支配となる[Ⅰ-2]≪酒匂川流域の再上知≫
①.27 大久保忠郁(忠方),参府する[Ⅰ-2]
①.~5.━ 酒匂川東岸金手村(大井町)~飯泉村,西岸下吉田島村(開成町)~蓮正寺村の川除け普請が公儀普請で行われる[Ⅰ-215]
6.━ 小田原藩領および上知された元小田原藩領に倹約令が触れ出される[Ⅱ-15]
8.━ 大岡忠相,酒匂川の川除け普請現場を視察する[Ⅰ-213]
8.28~ 忠郁(忠方),小田原へ帰城する[Ⅰ-2]
この年 幕府代官岩手信猶,管轄領村に対して反取り検見制に替え有毛取り制を導入する
社会・文化
1.15 家中の剣術家金成与九郎,江戸芝金杉橋の斬り合いで負傷し小田原で死亡する
1.━ 小田原町の若者仲間が解散する[町誌上]
4.━ 府川村惣百姓が川除け普請人足賃の割り渡し方等につき名主を訴える[Ⅰ-216]
11.━ 小田原町・郷方の人びとと巡礼者が飯泉村勝福寺に供養塔を寄進する(石工は代官町朝倉清八郎)[金石3-47]
国内・国際
4.━ 幕府,農作物の猪・鹿害を防ぐため関東8国での「おどし鉄砲」使用を認める
7.26 カンボジア船が長崎に来航,通商を求める
10.15 下総国の飯沼の新田開発が終わり,検地を受ける(総面積1525町余)
12.9 甲府で大火,城下の大半を焼失する
この年 儒学者荻生徂徠,意見書「政談」を著す