| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1793 |
| 年号 | 寛政5年(1793)癸丑 |
| 君主 | 大久保忠顕 |
| 政治・経済 | 3.19 老中松平定信,海防のための伊豆・相模国沿岸巡視で小田原に止宿する[Ⅰ-2] 4.27 松平定信,箱根関所を通行する[関中-14]≪松平定信の伊豆・相模巡見≫ 7.2~8.4 内山村ほか4か村(南足柄市)が関所要害山伏平堀切の作業人足を差し出す[南3-183] 7.━ 御厨領棚頭村(小山町)が畑荒れ地の年貢軽減を願い出る[小山2-151] 8.27 小田原藩,箱根関所・要害の地図を作成し,雛形を幕府に献上する[県4-2] 9.━ 箱根湖水水門堰樋が大破したため井組29か村が小田原藩・沼津藩に見分を願い出る[裾6-199] 10.━ 茶畑町善兵衛・千度小路市郎兵衛が藩に納める小田原浦の漁業・船積み十分一税を3か年請け負う[Ⅲ-71] 〃 万町甚兵衛が古新宿浦の魚十分一税の納入を下請けする[Ⅲ-72] 12.━ 池上村吉兵衛に箱根権現領駒ケ岳裾野での炭焼きが許可される[関上-11] |
| 社会・文化 | 4.━ 御厨領上野村(小山町)神明宮の宮抱え担当を認められなかった八左衛門が鉄砲改めに押印しなかったため咎めを受ける[小山2-352] 〃 吉浜村と鍛冶屋村(湯河原町)とが川堀山道争論について内済する[湯1-52] 6.13 箱根宿三島町念仏堂での回向につき箱根山中より参詣女性の関所通行が許可される[関上-10] 7.2~3 大雨により十文字堰の堤が決壊する[Ⅰ-231] 7.25~26 大雨で川音川の普請箇所が流失する[Ⅰ-231] |
| 国内・国際 | 3.7 幕府,光格天皇が父親閑院宮に太上天皇の称号を贈ろうとした件で公家2名を処罰する(尊号一件) 6.26 幕府,ラクスマンの通商要求を拒否し,長崎入港を指示する 7.23 松平定信が老中・将軍補佐役を罷免される 〃 国学者塙保己一が官費により和学講談所を設立する |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1793
年号
寛政5年(1793)癸丑
君主
大久保忠顕
政治・経済
3.19 老中松平定信,海防のための伊豆・相模国沿岸巡視で小田原に止宿する[Ⅰ-2]
4.27 松平定信,箱根関所を通行する[関中-14]≪松平定信の伊豆・相模巡見≫
7.2~8.4 内山村ほか4か村(南足柄市)が関所要害山伏平堀切の作業人足を差し出す[南3-183]
7.━ 御厨領棚頭村(小山町)が畑荒れ地の年貢軽減を願い出る[小山2-151]
8.27 小田原藩,箱根関所・要害の地図を作成し,雛形を幕府に献上する[県4-2]
9.━ 箱根湖水水門堰樋が大破したため井組29か村が小田原藩・沼津藩に見分を願い出る[裾6-199]
10.━ 茶畑町善兵衛・千度小路市郎兵衛が藩に納める小田原浦の漁業・船積み十分一税を3か年請け負う[Ⅲ-71]
〃 万町甚兵衛が古新宿浦の魚十分一税の納入を下請けする[Ⅲ-72]
12.━ 池上村吉兵衛に箱根権現領駒ケ岳裾野での炭焼きが許可される[関上-11]
社会・文化
4.━ 御厨領上野村(小山町)神明宮の宮抱え担当を認められなかった八左衛門が鉄砲改めに押印しなかったため咎めを受ける[小山2-352]
〃 吉浜村と鍛冶屋村(湯河原町)とが川堀山道争論について内済する[湯1-52]
6.13 箱根宿三島町念仏堂での回向につき箱根山中より参詣女性の関所通行が許可される[関上-10]
7.2~3 大雨により十文字堰の堤が決壊する[Ⅰ-231]
7.25~26 大雨で川音川の普請箇所が流失する[Ⅰ-231]
国内・国際
3.7 幕府,光格天皇が父親閑院宮に太上天皇の称号を贈ろうとした件で公家2名を処罰する(尊号一件)
6.26 幕府,ラクスマンの通商要求を拒否し,長崎入港を指示する
7.23 松平定信が老中・将軍補佐役を罷免される
〃 国学者塙保己一が官費により和学講談所を設立する