| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1802 |
| 年号 | 享和2年(1802)壬戌 |
| 君主 | 大久保忠真 |
| 政治・経済 | 3.━ 鍛冶屋村(湯河原町)が小前の質地請け戻し資金15両の拝借を藩に願い出る[湯1-56] 4.━ 吉浜村ほか5か村(湯河原町)が郷蔵建立を藩に願い出る[湯1-56] 9.21 土肥6か村(湯河原町)が大廻り役人に石尻用捨を願い出る[湯1-56]≪石尻用捨願い≫ 10.12 酒匂川筋の堤修復が公儀御普請となる[県4-2] 10.━ 御厨領原方組合村が大豆の金納を願い出る[御叢1-1-28] 12.15 小田原藩,村方・寺社方へ諸願書の提出御用日(3・9の日)厳守を申し触れる[御叢1-1-30] 12.━ 小田原宿,飯盛女設置が許可されない代わりに拝借した助成金300両を困窮する本町に振りあて10か年仕法を実行する[町誌上] この年 荻窪堰(湯本堰)が完成する[風土記]≪荻窪堰完成≫ |
| 社会・文化 | 2.━ 幕府,箱根権現別当金剛王院に諸堂修復のための相模・武蔵・甲斐3か国勧化を許可する[天保集成] 6.30 大雨が続き洪水により岩流瀬・大口堤が決壊し,川東方面も流失する[県5-206・259]≪酒匂川洪水≫ 6.━ 母親よし病没で両親を失った二宮金次郎(16)が伯父万兵衛に預けられる 8.━ 困窮者増加につき本町が町役人に御救いを願い出る[町誌上] 〃 小田原宿,年々困窮につき飯盛女の設置を藩に願い出る 9.23 板橋村妙安寺に寛永・元禄・天明3地震犠牲者の供養塔が建てられる(のち本應寺に移転)[金石1-5] |
| 国内・国際 | 1.━ 十返舎一九が滑稽本「浮世道中膝栗毛(東海道中膝栗毛)」初編を発表する 2.23 幕府,東蝦夷地を直轄とし,蝦夷奉行(のち箱館奉行)を置く 7.━ 幕府,大雨・洪水による米価高騰により酒造制限(半減)令を出す 10.━ 志筑忠雄が「暦象新書」を著し,ニュートン力学を紹介する 11.━ 尾張藩,瀬戸焼の流通を統制するため御蔵会所を設ける 12.━ 幕府,薩摩藩に唐物抜け荷(密貿易)の取り締まり強化を命じる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1802
年号
享和2年(1802)壬戌
君主
大久保忠真
政治・経済
3.━ 鍛冶屋村(湯河原町)が小前の質地請け戻し資金15両の拝借を藩に願い出る[湯1-56]
4.━ 吉浜村ほか5か村(湯河原町)が郷蔵建立を藩に願い出る[湯1-56]
9.21 土肥6か村(湯河原町)が大廻り役人に石尻用捨を願い出る[湯1-56]≪石尻用捨願い≫
10.12 酒匂川筋の堤修復が公儀御普請となる[県4-2]
10.━ 御厨領原方組合村が大豆の金納を願い出る[御叢1-1-28]
12.15 小田原藩,村方・寺社方へ諸願書の提出御用日(3・9の日)厳守を申し触れる[御叢1-1-30]
12.━ 小田原宿,飯盛女設置が許可されない代わりに拝借した助成金300両を困窮する本町に振りあて10か年仕法を実行する[町誌上]
この年 荻窪堰(湯本堰)が完成する[風土記]≪荻窪堰完成≫
社会・文化
2.━ 幕府,箱根権現別当金剛王院に諸堂修復のための相模・武蔵・甲斐3か国勧化を許可する[天保集成]
6.30 大雨が続き洪水により岩流瀬・大口堤が決壊し,川東方面も流失する[県5-206・259]≪酒匂川洪水≫
6.━ 母親よし病没で両親を失った二宮金次郎(16)が伯父万兵衛に預けられる
8.━ 困窮者増加につき本町が町役人に御救いを願い出る[町誌上]
〃 小田原宿,年々困窮につき飯盛女の設置を藩に願い出る
9.23 板橋村妙安寺に寛永・元禄・天明3地震犠牲者の供養塔が建てられる(のち本應寺に移転)[金石1-5]
国内・国際
1.━ 十返舎一九が滑稽本「浮世道中膝栗毛(東海道中膝栗毛)」初編を発表する
2.23 幕府,東蝦夷地を直轄とし,蝦夷奉行(のち箱館奉行)を置く
7.━ 幕府,大雨・洪水による米価高騰により酒造制限(半減)令を出す
10.━ 志筑忠雄が「暦象新書」を著し,ニュートン力学を紹介する
11.━ 尾張藩,瀬戸焼の流通を統制するため御蔵会所を設ける
12.━ 幕府,薩摩藩に唐物抜け荷(密貿易)の取り締まり強化を命じる