| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1824 |
| 年号 | 文政7年(1824)甲申閏⑧ |
| 君主 | 大久保忠真 |
| 政治・経済 | 2.29 飛び地領武蔵国多摩郡雨間村(あきる野市)の用水路工事が公儀普請となる[県4-2] 3.16 前年夏・秋の洪水で被害を受けた酒匂川筋の堤修復が公儀普請となる[Ⅰ-248] 5.18 御番帳外の浅田鉄蔵,50石取・御番帳入となる 6.━ 本町が五人組帳前書を改める[県5-79] 9.9 廻村中の大廻り役人に定免の継続を願い出た御厨領村に酒代が下賜される[御叢2-6-4] 11.━ 小田原藩,小田原町の質屋を30軒に制限し,組合仲間を結成させる[Ⅲ-122]≪小田原宿質屋仲間≫ この年 小田原町の町年寄らが人馬継ぎ立て維持のため積金仕法をはじめる[町誌上] 〃 真鶴村台右衛門が底魚網(ねこそぎ網)を開発する[風土記] |
| 社会・文化 | 3.26~ 木食観正,本町久保田才助・久野村名主久野右衛門宅に逗留する[Ⅲ-118] 4.1 茶畑町円福寺,木食観正の駿州・甲州・信州・江戸への勧進旅行を藩に願い出る[Ⅲ-118] 4.27 浅田鉄蔵・門次郎が水戸で親の敵成滝万助を討つ≪浅田兄弟の敵討ち≫ 11.━ 町年寄・宿老の小西治郎左衛門が由緒を書き上げる[Ⅲ-119] 12.━ 押切川河口の浜辺薪置場に関する羽根尾村と山西村(二宮町)との争論が内済する[二1-285] この年 江戸呉服町商人加瀬屋友七が割石坂(箱根町)に施行所(休憩所)を設ける[風土記] |
| 国内・国際 | 5.28 常陸国大津浜にイギリス捕鯨船の乗組員が上陸し,水戸藩兵が逮捕する 7.8 イギリス捕鯨船の乗組員が薩摩国宝島に上陸し,野牛を略奪して1名が射殺される 7.━ 低質な新鋳銭「文政一朱金」の通用が開始される 12.2 駿河・遠江国113か村の農民が江戸茶問屋・駿河茶仲間の独占・不正を幕府に訴える この年 シーボルトが長崎郊外に鳴滝塾を設ける この頃 江戸両国の花屋与兵衛が「にぎり鮨」をはじめる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1824
年号
文政7年(1824)甲申閏⑧
君主
大久保忠真
政治・経済
2.29 飛び地領武蔵国多摩郡雨間村(あきる野市)の用水路工事が公儀普請となる[県4-2]
3.16 前年夏・秋の洪水で被害を受けた酒匂川筋の堤修復が公儀普請となる[Ⅰ-248]
5.18 御番帳外の浅田鉄蔵,50石取・御番帳入となる
6.━ 本町が五人組帳前書を改める[県5-79]
9.9 廻村中の大廻り役人に定免の継続を願い出た御厨領村に酒代が下賜される[御叢2-6-4]
11.━ 小田原藩,小田原町の質屋を30軒に制限し,組合仲間を結成させる[Ⅲ-122]≪小田原宿質屋仲間≫
この年 小田原町の町年寄らが人馬継ぎ立て維持のため積金仕法をはじめる[町誌上]
〃 真鶴村台右衛門が底魚網(ねこそぎ網)を開発する[風土記]
社会・文化
3.26~ 木食観正,本町久保田才助・久野村名主久野右衛門宅に逗留する[Ⅲ-118]
4.1 茶畑町円福寺,木食観正の駿州・甲州・信州・江戸への勧進旅行を藩に願い出る[Ⅲ-118]
4.27 浅田鉄蔵・門次郎が水戸で親の敵成滝万助を討つ≪浅田兄弟の敵討ち≫
11.━ 町年寄・宿老の小西治郎左衛門が由緒を書き上げる[Ⅲ-119]
12.━ 押切川河口の浜辺薪置場に関する羽根尾村と山西村(二宮町)との争論が内済する[二1-285]
この年 江戸呉服町商人加瀬屋友七が割石坂(箱根町)に施行所(休憩所)を設ける[風土記]
国内・国際
5.28 常陸国大津浜にイギリス捕鯨船の乗組員が上陸し,水戸藩兵が逮捕する
7.8 イギリス捕鯨船の乗組員が薩摩国宝島に上陸し,野牛を略奪して1名が射殺される
7.━ 低質な新鋳銭「文政一朱金」の通用が開始される
12.2 駿河・遠江国113か村の農民が江戸茶問屋・駿河茶仲間の独占・不正を幕府に訴える
この年 シーボルトが長崎郊外に鳴滝塾を設ける
この頃 江戸両国の花屋与兵衛が「にぎり鮨」をはじめる