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項目 内容
時代区分 近世(1590-1870)
西暦 1849
年号 嘉永2年(1849)己酉閏④
君主 大久保忠愨
政治・経済 3.21~ 大久保忠愨,小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 4.3 御用人大久保隼之助が韮山を訪問,家中によるカノン砲試射を視察する ④.8~20 小田原藩,イギリス船マリナー号渡来につき真鶴・大磯・小田原浦・下田へ出兵する[Ⅰ-268] 5.4 小田原藩,家中へ禄高に応じて武器手当金を支給する[Ⅰ-2] 5.10 村筒313名の海防出役に対し,それぞれ手当400文と用意金1分が支給される[御1-2-16] 5.12 小田原藩,村内の荒れ地開発の功績により飯田岡村名主権左衛門に給米2俵を支給し,脇差を許す[Ⅲ-192・193] 〃 小田原藩,堀之内・中曽根村再開発の功績により蓮正寺村名主小沢善三郎に苗字・袴着用を許す[Ⅲ-194] 8.15 忠愨,参府のため小田原を出発するが,酒匂川増水のため遅延する[Ⅰ-2] 10.15 二宮金次郎,返納金等約1万両について藩の海防費用充当を願い出るが拒否される 12.━ 板橋村ほか16か村の名主が諸職人の賃金高騰につき値下げを藩に願い出る[Ⅲ-195] この年 多古・井細田・池上3か村が藩の命令により村内の畑成田開発を実施[Ⅲ-220],池上村名主太次兵衛らが穴部堰より分水して池上用水(妙泉堰)の開削に着手する
社会・文化 1.26 捕縛された甲州無宿富士五郎が韮山から甲府へ護送される[御1-2-16] 3.10 松国弥八郎・別府信次郎・深水鉄三郎が高島流砲術免許皆伝となるが,その後も韮山塾で修行を続ける 4.━ 石橋村佐奈田社が縁起を書き上げる[県8-寺167] 7.━ 久野村の寺子屋師匠伊東久三郎が死去,のち筆子塚が京福寺に建てられる 8.━ 小田原藩,村祭等における香具師・芝居など「風祭」を禁止する[御1-2-16] 9.9 大口文命宮の修復・祠堂金運営等をめぐる斑目村と千津島村(南足柄市)との争論が内済となる[南2-156] 12.━ 小田原浦かたつまの鰤網の網場について千度小路の網元5人が争う[Ⅲ-196]
国内・国際 ④.12 浦賀沖に出現したイギリス船マリナー号が下田に来航,江川英竜が交渉する 5.5 幕府,三奉行・海防掛・浦賀奉行・長崎奉行および会津藩主松平容保・江川英竜らに異国船打ち払い令の復活を諮問する 5.━ 江川英竜が韮山で反射炉の3分の1モデルを完成させる 6.29 長崎の楢林宗建がわが子を実験台にして種痘に成功する 7.10 幕府,松前藩と福江藩に海防強化のために新城の構築を命じる 9.6 幕府,諸藩・旗本に海防報告書の提出を命じる 9.21 蘭学者箕作阮甫が翻訳書「水蒸船説略」を著し,島津斉彬に提出する
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1849
年号
嘉永2年(1849)己酉閏④
君主
大久保忠愨
政治・経済
3.21~ 大久保忠愨,小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 4.3 御用人大久保隼之助が韮山を訪問,家中によるカノン砲試射を視察する ④.8~20 小田原藩,イギリス船マリナー号渡来につき真鶴・大磯・小田原浦・下田へ出兵する[Ⅰ-268] 5.4 小田原藩,家中へ禄高に応じて武器手当金を支給する[Ⅰ-2] 5.10 村筒313名の海防出役に対し,それぞれ手当400文と用意金1分が支給される[御1-2-16] 5.12 小田原藩,村内の荒れ地開発の功績により飯田岡村名主権左衛門に給米2俵を支給し,脇差を許す[Ⅲ-192・193] 〃 小田原藩,堀之内・中曽根村再開発の功績により蓮正寺村名主小沢善三郎に苗字・袴着用を許す[Ⅲ-194] 8.15 忠愨,参府のため小田原を出発するが,酒匂川増水のため遅延する[Ⅰ-2] 10.15 二宮金次郎,返納金等約1万両について藩の海防費用充当を願い出るが拒否される 12.━ 板橋村ほか16か村の名主が諸職人の賃金高騰につき値下げを藩に願い出る[Ⅲ-195] この年 多古・井細田・池上3か村が藩の命令により村内の畑成田開発を実施[Ⅲ-220],池上村名主太次兵衛らが穴部堰より分水して池上用水(妙泉堰)の開削に着手する
社会・文化
1.26 捕縛された甲州無宿富士五郎が韮山から甲府へ護送される[御1-2-16] 3.10 松国弥八郎・別府信次郎・深水鉄三郎が高島流砲術免許皆伝となるが,その後も韮山塾で修行を続ける 4.━ 石橋村佐奈田社が縁起を書き上げる[県8-寺167] 7.━ 久野村の寺子屋師匠伊東久三郎が死去,のち筆子塚が京福寺に建てられる 8.━ 小田原藩,村祭等における香具師・芝居など「風祭」を禁止する[御1-2-16] 9.9 大口文命宮の修復・祠堂金運営等をめぐる斑目村と千津島村(南足柄市)との争論が内済となる[南2-156] 12.━ 小田原浦かたつまの鰤網の網場について千度小路の網元5人が争う[Ⅲ-196]
国内・国際
④.12 浦賀沖に出現したイギリス船マリナー号が下田に来航,江川英竜が交渉する 5.5 幕府,三奉行・海防掛・浦賀奉行・長崎奉行および会津藩主松平容保・江川英竜らに異国船打ち払い令の復活を諮問する 5.━ 江川英竜が韮山で反射炉の3分の1モデルを完成させる 6.29 長崎の楢林宗建がわが子を実験台にして種痘に成功する 7.10 幕府,松前藩と福江藩に海防強化のために新城の構築を命じる 9.6 幕府,諸藩・旗本に海防報告書の提出を命じる 9.21 蘭学者箕作阮甫が翻訳書「水蒸船説略」を著し,島津斉彬に提出する
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