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項目 内容
時代区分 近世(1590-1870)
西暦 1854
年号 安政元年(1854)甲寅閏⑦
君主 大久保忠愨
政治・経済 1.11~6.9 小田原藩,ペリー艦隊再来航につき下田・真鶴・小田原浦・大磯に出兵する[Ⅰ-268] 2.16~8.6 大久保忠愨,領内海岸警備のため小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 2.28 1日予定であった宿伝馬の馬見せ(藩主上覧)を行う[町誌上] 3.21 小田原藩,小田原浦・真鶴・大磯の海岸警備態勢を解除する[Ⅰ-2] 3.━ 異国船渡来による通行量増加のため小田原宿の当分助郷につき定助郷113か村と加助郷82か村とで人馬雇替えを取り決める[秦叢2-90] 4.30 別府信次郎,江戸詰となり千駄ケ谷屋敷で家中の調練を指導する 5.━ 板橋村石屋善左衛門と甲州境村海蔵が品川台場用石材値段を書き上げる[県9-産153] 7.24 小田原藩,海防出兵時に村筒小頭を名主格,平村筒を組頭格とし,提灯貸与・足軽扶持支給を約束する[Ⅲ-222] 7.━ 藩より600両を拝借し,富裕者より加入金を募り3か年3000両の東筋宿村非常備金を開始する[大井2-30]≪東筋宿村非常備金開始≫ 9.19 ディアナ号来航につき,大坂蔵屋敷詰の家中が天保山北方へ警備のため出兵する[Ⅰ-2] 10.16~ 小田原藩兵,ディアナ号来航につき下田に出兵する[Ⅰ-2] 11.18 小田原藩,畑成田開発・新堰開削の功績を褒賞して池上村名主太次兵衛に米3俵を下付し袴着用を許す[Ⅲ-223]≪開発功労者の褒賞≫ 〃 小田原藩,冷水堀開削・荒れ地開発の功績を褒賞して竹松村(南足柄市)名主幸内に袴着用を許す[南2-80] 〃 小田原藩,地震後の村内復興尽力を褒賞して中沼村名主杉本伝造に名字を許す[南2-161] 〃 小田原藩,村方開発の功績を褒賞して上曽我村七蔵に脇差を許す[Ⅲ-224] この年 千度小路魚問屋小兵衛,早川村の大網張り立て権を買い取る[Ⅲ-229]
社会・文化 1.15 松原明神の祭礼が中止となる[町誌上] 4.7 正月中止した松原明神の祭礼を行う[町誌上] 7.━ 領内21組合が御師接待・諸勧化について規定を作る[Ⅲ-221] 〃 関本村(南足柄市)旅籠屋惣兵衛・権右衛門が村定に背いて村外まで富士導者を迎えに出て問題となる[南3-169] ⑦.━ 仙石原温泉(箱根町)で新座敷取り立てにつき座敷使用無料と引き替えの助成加入金を募集する[県5-238] 11.4 東海地震で小田原でも被害が出る[Ⅲ-219]≪安政東海地震≫ 11.26 須賀村(平塚市)庄兵衛所持の廻船が大風のため毘沙門村(三浦市)沖で難破する[平3-150] 11.━ 御厨領茶畑村(裾野市)が地震被害を書き上げる[裾3-173] この年 寺子屋師匠小台村蓮乗寺知玄の死去に際して筆子塚が建立される
国内・国際 1.16 ペリー艦隊7艘が浦賀に再来航する 1.━ 品川沖4~6番台場の築造がはじまる 3.3 神奈川で「日米和親条約(神奈川条約)」を締結,下田・箱館の開港が決まる 4.21 ペリー,箱館に入港,のち下田へ向かう 4.30 徳川斉昭,日米和親条約締結を不満として海防参与を辞任する 4.━ 品川沖1~3番台場が完成する 5.14 下田奉行の再設置により,韮山代官江川英竜が下田警備の担当からはずれる 5.25 日米和親条約付録協定(下田条約)に調印する 6.17 ペリー,琉球王府と琉米修好条約を締結する 6.26 幕府,箱館を直轄とし,のち箱館奉行を再置する 7.28 造船・航海術研修用のオランダ船スンビン号(のちの観光丸)が長崎に到着する 10.14 ディアナ号(プチャーチン),下田へ入港する 11.4 東海地方で大地震,大津波が発生し下田に停泊中のディアナ号が損傷を受ける 11.━ 品川沖5・6番台場と御殿山下台場が完成する 12.━ 薩摩藩,桜島造船所で大型西洋式軍艦昇平丸を建造,のち幕府に献上される
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1854
年号
安政元年(1854)甲寅閏⑦
君主
大久保忠愨
政治・経済
1.11~6.9 小田原藩,ペリー艦隊再来航につき下田・真鶴・小田原浦・大磯に出兵する[Ⅰ-268] 2.16~8.6 大久保忠愨,領内海岸警備のため小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 2.28 1日予定であった宿伝馬の馬見せ(藩主上覧)を行う[町誌上] 3.21 小田原藩,小田原浦・真鶴・大磯の海岸警備態勢を解除する[Ⅰ-2] 3.━ 異国船渡来による通行量増加のため小田原宿の当分助郷につき定助郷113か村と加助郷82か村とで人馬雇替えを取り決める[秦叢2-90] 4.30 別府信次郎,江戸詰となり千駄ケ谷屋敷で家中の調練を指導する 5.━ 板橋村石屋善左衛門と甲州境村海蔵が品川台場用石材値段を書き上げる[県9-産153] 7.24 小田原藩,海防出兵時に村筒小頭を名主格,平村筒を組頭格とし,提灯貸与・足軽扶持支給を約束する[Ⅲ-222] 7.━ 藩より600両を拝借し,富裕者より加入金を募り3か年3000両の東筋宿村非常備金を開始する[大井2-30]≪東筋宿村非常備金開始≫ 9.19 ディアナ号来航につき,大坂蔵屋敷詰の家中が天保山北方へ警備のため出兵する[Ⅰ-2] 10.16~ 小田原藩兵,ディアナ号来航につき下田に出兵する[Ⅰ-2] 11.18 小田原藩,畑成田開発・新堰開削の功績を褒賞して池上村名主太次兵衛に米3俵を下付し袴着用を許す[Ⅲ-223]≪開発功労者の褒賞≫ 〃 小田原藩,冷水堀開削・荒れ地開発の功績を褒賞して竹松村(南足柄市)名主幸内に袴着用を許す[南2-80] 〃 小田原藩,地震後の村内復興尽力を褒賞して中沼村名主杉本伝造に名字を許す[南2-161] 〃 小田原藩,村方開発の功績を褒賞して上曽我村七蔵に脇差を許す[Ⅲ-224] この年 千度小路魚問屋小兵衛,早川村の大網張り立て権を買い取る[Ⅲ-229]
社会・文化
1.15 松原明神の祭礼が中止となる[町誌上] 4.7 正月中止した松原明神の祭礼を行う[町誌上] 7.━ 領内21組合が御師接待・諸勧化について規定を作る[Ⅲ-221] 〃 関本村(南足柄市)旅籠屋惣兵衛・権右衛門が村定に背いて村外まで富士導者を迎えに出て問題となる[南3-169] ⑦.━ 仙石原温泉(箱根町)で新座敷取り立てにつき座敷使用無料と引き替えの助成加入金を募集する[県5-238] 11.4 東海地震で小田原でも被害が出る[Ⅲ-219]≪安政東海地震≫ 11.26 須賀村(平塚市)庄兵衛所持の廻船が大風のため毘沙門村(三浦市)沖で難破する[平3-150] 11.━ 御厨領茶畑村(裾野市)が地震被害を書き上げる[裾3-173] この年 寺子屋師匠小台村蓮乗寺知玄の死去に際して筆子塚が建立される
国内・国際
1.16 ペリー艦隊7艘が浦賀に再来航する 1.━ 品川沖4~6番台場の築造がはじまる 3.3 神奈川で「日米和親条約(神奈川条約)」を締結,下田・箱館の開港が決まる 4.21 ペリー,箱館に入港,のち下田へ向かう 4.30 徳川斉昭,日米和親条約締結を不満として海防参与を辞任する 4.━ 品川沖1~3番台場が完成する 5.14 下田奉行の再設置により,韮山代官江川英竜が下田警備の担当からはずれる 5.25 日米和親条約付録協定(下田条約)に調印する 6.17 ペリー,琉球王府と琉米修好条約を締結する 6.26 幕府,箱館を直轄とし,のち箱館奉行を再置する 7.28 造船・航海術研修用のオランダ船スンビン号(のちの観光丸)が長崎に到着する 10.14 ディアナ号(プチャーチン),下田へ入港する 11.4 東海地方で大地震,大津波が発生し下田に停泊中のディアナ号が損傷を受ける 11.━ 品川沖5・6番台場と御殿山下台場が完成する 12.━ 薩摩藩,桜島造船所で大型西洋式軍艦昇平丸を建造,のち幕府に献上される
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