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項目 内容
時代区分 近世(1590-1870)
西暦 1862
年号 文久2年(1862)壬戌閏⑧
君主 大久保忠礼
政治・経済 2.10 藩主大久保忠礼の初入部を前に,小田原町役人が町中を見分に廻る[Ⅲ-245] 2.19~8.5 大久保忠礼,小田原へ初入部する[Ⅲ-245] 2.━ 困窮につき小田原宿当分助郷17か村が触れ当て免除を道中奉行に願い出る[大磯2-223] 5.2 品川台場築造御用の勘定につき甲州堺村(都留市)天野海蔵を訴えていた板橋村石屋善左衛門が示談に応じる[Ⅲ-247] 5.━ 小田原藩,「御家中先祖並親類書」をまとめる 〃 藩主へのお目見えを郷方役人より先にするよう町方役人が願い出る(お目見えは延期となる)[Ⅲ-245] 7.18 藩主忠礼の小田原町中巡見に先立ち町方役所より心得が申し渡される[Ⅲ-245] 7.━ 藩主へのお目見え順につき郷方惣代の組合取締役一同が再度願書を提出する[Ⅲ-248] 10.19~翌年1.18 忠礼,小田原へ帰城する 10.━ 須藤町名主専助・本町名主翁之介が高梨町名主を兼帯し,高梨町の財政再建を請け負う[Ⅲ-274] 10.~12.━ 将軍上洛を前に須雲川村(箱根町)内の東海道を修復する[県9-交158] 11.4 小田原藩,将軍上洛準備のため領内村の助郷勤め人馬数を調査する[南3-207] 11.12 小田原宿が伝馬持ち立て方につき積立金仕法の実施を町奉行所に願い出る[町誌上] この年 小田原藩,藩主入部の際の冥加金上納を褒賞して代官町名主格徳左衛門を人足肝煎座,一丁田町御用聞荘助を名主格に任ずる[Ⅲ-250] 〃 曽比村名主広吉らが村の借財が再び増加したため藩の資金援助を願い出る[Ⅲ-251]
社会・文化 1.━ 飯沢村(南足柄市)で冠婚葬祭・年中行事について倹約を取り決める[南3-7] 2.25 北窪村の若者中が天神社に霊験図絵馬を奉納する 2.━ 飯泉観音への寄進100両を領内71か村から高割(3年間分納)で集める[開2-82] 3.25 大雨により代官町徳常院に泊まっていた江戸輸送途中の官金500両分が紛失する[町誌上] 4.━ 御厨領用沢村と一色村ほか17か村(小山町)との間の秣場入会再争論につき相州の組合村惣代らも仲裁に加わり内済する[小山2-416] ⑧.25 穴部組合村が麻疹・コレラ病死人を書き上げる[Ⅲ-249]≪麻疹流行≫ ⑧.━ 岡野村(開成町)が瘡疹・コレラ病死人を書き上げる[開1-89] 〃 壗下村(南足柄市)が麻疹の病死人を書き上げる[南2-96] 11.━ 曽比村の小前一同が名主広吉の横暴不法を藩に訴えるに際し,飯田岡・栢山両村名主に口添えを頼む[県5-247]
国内・国際 1.15 老中安藤信正が坂下門外で水戸浪士に襲われ負傷する(坂下門外の変) 2.11 将軍徳川家茂と和宮との婚礼がとり行われる 春 下岡蓮杖が横浜野毛で我が国最初の写真館を開業する 5.29 イギリス公使館内でイギリス水兵が警備の松本藩士に殺される(第2次東禅寺事件) 6.10 島津久光を随行して参府した勅使大原重徳が将軍徳川家茂に会見し,幕政改革を要求する 7.6 一橋慶喜が将軍後見職につく 8.21 帰路途中,島津久光配下の薩摩藩兵が下馬しなかったイギリス人らを殺傷する(生麦事件) ⑧.19 幕府,品川~平塚間の東海道を厚木経由の中原街道へ変更する ⑧.22 幕府,参勤交代制度を緩和し,大名妻子の帰国を許す 9.10 幕府,将軍上洛を来年2月と決定し,宿駅・人馬の整備を命じる 11.27 勅使三条実美らが将軍家茂に会見し,攘夷催促の勅書と親兵設置の沙汰書を渡す 12.12 高杉晋作らが,品川に建設中のイギリス公使館を焼く
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1862
年号
文久2年(1862)壬戌閏⑧
君主
大久保忠礼
政治・経済
2.10 藩主大久保忠礼の初入部を前に,小田原町役人が町中を見分に廻る[Ⅲ-245] 2.19~8.5 大久保忠礼,小田原へ初入部する[Ⅲ-245] 2.━ 困窮につき小田原宿当分助郷17か村が触れ当て免除を道中奉行に願い出る[大磯2-223] 5.2 品川台場築造御用の勘定につき甲州堺村(都留市)天野海蔵を訴えていた板橋村石屋善左衛門が示談に応じる[Ⅲ-247] 5.━ 小田原藩,「御家中先祖並親類書」をまとめる 〃 藩主へのお目見えを郷方役人より先にするよう町方役人が願い出る(お目見えは延期となる)[Ⅲ-245] 7.18 藩主忠礼の小田原町中巡見に先立ち町方役所より心得が申し渡される[Ⅲ-245] 7.━ 藩主へのお目見え順につき郷方惣代の組合取締役一同が再度願書を提出する[Ⅲ-248] 10.19~翌年1.18 忠礼,小田原へ帰城する 10.━ 須藤町名主専助・本町名主翁之介が高梨町名主を兼帯し,高梨町の財政再建を請け負う[Ⅲ-274] 10.~12.━ 将軍上洛を前に須雲川村(箱根町)内の東海道を修復する[県9-交158] 11.4 小田原藩,将軍上洛準備のため領内村の助郷勤め人馬数を調査する[南3-207] 11.12 小田原宿が伝馬持ち立て方につき積立金仕法の実施を町奉行所に願い出る[町誌上] この年 小田原藩,藩主入部の際の冥加金上納を褒賞して代官町名主格徳左衛門を人足肝煎座,一丁田町御用聞荘助を名主格に任ずる[Ⅲ-250] 〃 曽比村名主広吉らが村の借財が再び増加したため藩の資金援助を願い出る[Ⅲ-251]
社会・文化
1.━ 飯沢村(南足柄市)で冠婚葬祭・年中行事について倹約を取り決める[南3-7] 2.25 北窪村の若者中が天神社に霊験図絵馬を奉納する 2.━ 飯泉観音への寄進100両を領内71か村から高割(3年間分納)で集める[開2-82] 3.25 大雨により代官町徳常院に泊まっていた江戸輸送途中の官金500両分が紛失する[町誌上] 4.━ 御厨領用沢村と一色村ほか17か村(小山町)との間の秣場入会再争論につき相州の組合村惣代らも仲裁に加わり内済する[小山2-416] ⑧.25 穴部組合村が麻疹・コレラ病死人を書き上げる[Ⅲ-249]≪麻疹流行≫ ⑧.━ 岡野村(開成町)が瘡疹・コレラ病死人を書き上げる[開1-89] 〃 壗下村(南足柄市)が麻疹の病死人を書き上げる[南2-96] 11.━ 曽比村の小前一同が名主広吉の横暴不法を藩に訴えるに際し,飯田岡・栢山両村名主に口添えを頼む[県5-247]
国内・国際
1.15 老中安藤信正が坂下門外で水戸浪士に襲われ負傷する(坂下門外の変) 2.11 将軍徳川家茂と和宮との婚礼がとり行われる 春 下岡蓮杖が横浜野毛で我が国最初の写真館を開業する 5.29 イギリス公使館内でイギリス水兵が警備の松本藩士に殺される(第2次東禅寺事件) 6.10 島津久光を随行して参府した勅使大原重徳が将軍徳川家茂に会見し,幕政改革を要求する 7.6 一橋慶喜が将軍後見職につく 8.21 帰路途中,島津久光配下の薩摩藩兵が下馬しなかったイギリス人らを殺傷する(生麦事件) ⑧.19 幕府,品川~平塚間の東海道を厚木経由の中原街道へ変更する ⑧.22 幕府,参勤交代制度を緩和し,大名妻子の帰国を許す 9.10 幕府,将軍上洛を来年2月と決定し,宿駅・人馬の整備を命じる 11.27 勅使三条実美らが将軍家茂に会見し,攘夷催促の勅書と親兵設置の沙汰書を渡す 12.12 高杉晋作らが,品川に建設中のイギリス公使館を焼く
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