| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1864 |
| 年号 | 元治元年(1864)甲子 |
| 君主 | 大久保忠礼 |
| 政治・経済 | 1.12 将軍上洛中,箱根等6関所の通行人改めを強化する[平2-27] 3.━ 御厨領古沢村(御殿場市)が櫨の植え付け・植え替え状況を書き上げる[御3-1-19] 4.4 小田原藩,天狗党の乱の影響で道中筋の取り締まりを強化する[平2-27] 5.5 大久保忠礼,7月から3か月間の京都警衛(上京)を命じられる 5.11 小田原藩,藩主上京のための御用金1万両を領内に賦課する[平2-27] 〃 郡中取締役が須藤町伊勢彦に集会し御用金徴集について話し合い,高100石につき5両とする[平2-27] 6.10~23 忠礼,小田原藩兵ら1058名を率いて小田原を出発し京都に到着する[Ⅰ-286]≪小田原藩の京都警衛≫ 6.13 小田原藩,諸国浪士挙兵につき幕府より箱根関所等の警衛強化を命じられる[Ⅰ-285] 6.28 小田原藩兵,大和郡山藩兵とともに山崎表(大山崎町)を守衛する[Ⅰ-286] 7.5 忠礼,参内し天皇に拝謁する 〃 須賀村(平塚市)ほか10か村が定免の5か年延長を願い出,許可される[平2-27] 7.7 小田原藩,浮浪の者屯集・横行につき家中へ非常備えの際の合図・配置箇所等を通達する[県5-119] 7.19 禁門の変で小田原藩兵は日御門前を守衛する[Ⅰ-286] 8.4 小田原より家老渡辺大允ら京都警衛増し人数250名余が京都に到着する[Ⅰ-286] 8.29 東海道53宿・同助郷村が進発での人馬役軽減を道中奉行に願い出る[県10-615] 9.28 小田原藩,10月からさらに3か月間の御所警衛延長を命じられる[Ⅰ-286] 10.11 小田原藩,酒匂川・川音川の国役普請に尽力した栢山村名主齢次郎・金井島村名主五郎左衛門に脇差を許す[Ⅲ-256,開1-20] 10.22 京都出兵中の茱萸沢村(御殿場市)村筒嘉兵衛が印野村村筒小頭角左衛門に交代要員派遣を書状で願う[御2-14-40] 10.━ 長期京都出兵中の村筒の帰村を領内の村筒小頭12名が藩に願い出る[Ⅲ-257] 11.19 忠礼,従四位下昇進の通知があったが,のち辞退する 12.4~27 京都詰めの小田原藩兵,天狗党追討のため近江・越前へ出張する[Ⅰ-286] 12.28 小田原藩,非常備金1000両の調達等の功績により町年寄格辻村甚八郎に生涯5人扶持支給と孫まで苗字御免を許す[Ⅲ-259] この年 中津川藤吉が欄干橋町に足袋屋(のちの宮前町葉婦屋)を開業する[金石2-5] |
| 社会・文化 | 2.━ 中沼村(南足柄市)で部屋住の若者へ取り締まりか条を申し渡す[南3-51] 5.24 大雨により酒匂川大口の二ノ堰代が決壊する[県5-248] 5.━ 御厨領須走村(小山町)が須走口富士参詣人減少につき矢倉沢関所通行緩和を藩に願い出る[小山2-547] 6.━ 高梨町で火災が発生する[Ⅲ-274] 〃 斑目村(南足柄市)ほか10か村が酒匂川出水の際の人足提出などについて申し合わせる[県5-248] 8.6 大工町笹井与左衛門・与助が大願成就を記念して大稲荷神社に武人図絵馬を奉納する 8.9 大風雨により領内各地で被害が出る[Ⅲ-257] 8.━ 藩主上京中につき狩野村(南足柄市)で治安取り締まり強化を取り決める[南3-10] 9.18 久野村の寺子屋師匠伊東亦五郎が死去,京福寺に墓碑(筆子塚)が建てられる 9.━ 空き屋敷の目立つ万町が漁師2軒の再興を藩に願い出る[Ⅲ-255] 12.━ 秣場の入会権につき江戸上屋敷に愁訴した桑木村(小山町)・中丸村(御殿場市)惣代が入牢となったため,小前一同が助命を願い出る[御2-2-5] この年 矢作村中芝原の小田原合戦で廃寺となったという超光寺跡に名主星崎宇三郎が発起人となり供養碑を建立する[金石3-60] 〃 悪疫流行の調伏のため桑原村塔ノ森に修行僧が経文を埋め,のちその跡に石塔が建てられる |
| 国内・国際 | 1.15 将軍家茂,再び上洛する 3.9 朝廷の参与大名が一斉に辞任し,公武合体派が分裂する 3.27 水戸藩の天狗党が筑波山で挙兵する 5.16 将軍家茂,江戸に戻るため大坂より出航する 5.21 幕府,勝海舟を頭取とする海軍操練所を兵庫に開設する 5.━ 幕府,物価引き下げを触れる 6.5 新撰組が京都河原町池田屋に集結中の攘夷派志士を襲う 6.15 箱館に洋式城塞五稜郭が完成する 7.19 長州藩兵が御所蛤御門等で幕府軍と戦う(禁門の変) 7.24 幕府,長州追討の勅命を受けて西国21藩に出兵を命じる(第1次長州征伐) 7.━ 横浜生糸売込仲間90人余が取り扱い規則を定める[県10-613] 8.5 英・米・仏・蘭4か国連合艦隊17艘が下関を砲撃する(下関戦争) 10.25 天狗党,那珂湊で敗れ,武田耕雲斎らが西上する 11.14 長州藩が降伏する 12.2 一橋慶喜,天狗党の追討使を命じられる 12.16 天狗党が越前新保駅(敦賀市)で加賀藩に投降する |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1864
年号
元治元年(1864)甲子
君主
大久保忠礼
政治・経済
1.12 将軍上洛中,箱根等6関所の通行人改めを強化する[平2-27]
3.━ 御厨領古沢村(御殿場市)が櫨の植え付け・植え替え状況を書き上げる[御3-1-19]
4.4 小田原藩,天狗党の乱の影響で道中筋の取り締まりを強化する[平2-27]
5.5 大久保忠礼,7月から3か月間の京都警衛(上京)を命じられる
5.11 小田原藩,藩主上京のための御用金1万両を領内に賦課する[平2-27]
〃 郡中取締役が須藤町伊勢彦に集会し御用金徴集について話し合い,高100石につき5両とする[平2-27]
6.10~23 忠礼,小田原藩兵ら1058名を率いて小田原を出発し京都に到着する[Ⅰ-286]≪小田原藩の京都警衛≫
6.13 小田原藩,諸国浪士挙兵につき幕府より箱根関所等の警衛強化を命じられる[Ⅰ-285]
6.28 小田原藩兵,大和郡山藩兵とともに山崎表(大山崎町)を守衛する[Ⅰ-286]
7.5 忠礼,参内し天皇に拝謁する
〃 須賀村(平塚市)ほか10か村が定免の5か年延長を願い出,許可される[平2-27]
7.7 小田原藩,浮浪の者屯集・横行につき家中へ非常備えの際の合図・配置箇所等を通達する[県5-119]
7.19 禁門の変で小田原藩兵は日御門前を守衛する[Ⅰ-286]
8.4 小田原より家老渡辺大允ら京都警衛増し人数250名余が京都に到着する[Ⅰ-286]
8.29 東海道53宿・同助郷村が進発での人馬役軽減を道中奉行に願い出る[県10-615]
9.28 小田原藩,10月からさらに3か月間の御所警衛延長を命じられる[Ⅰ-286]
10.11 小田原藩,酒匂川・川音川の国役普請に尽力した栢山村名主齢次郎・金井島村名主五郎左衛門に脇差を許す[Ⅲ-256,開1-20]
10.22 京都出兵中の茱萸沢村(御殿場市)村筒嘉兵衛が印野村村筒小頭角左衛門に交代要員派遣を書状で願う[御2-14-40]
10.━ 長期京都出兵中の村筒の帰村を領内の村筒小頭12名が藩に願い出る[Ⅲ-257]
11.19 忠礼,従四位下昇進の通知があったが,のち辞退する
12.4~27 京都詰めの小田原藩兵,天狗党追討のため近江・越前へ出張する[Ⅰ-286]
12.28 小田原藩,非常備金1000両の調達等の功績により町年寄格辻村甚八郎に生涯5人扶持支給と孫まで苗字御免を許す[Ⅲ-259]
この年 中津川藤吉が欄干橋町に足袋屋(のちの宮前町葉婦屋)を開業する[金石2-5]
社会・文化
2.━ 中沼村(南足柄市)で部屋住の若者へ取り締まりか条を申し渡す[南3-51]
5.24 大雨により酒匂川大口の二ノ堰代が決壊する[県5-248]
5.━ 御厨領須走村(小山町)が須走口富士参詣人減少につき矢倉沢関所通行緩和を藩に願い出る[小山2-547]
6.━ 高梨町で火災が発生する[Ⅲ-274]
〃 斑目村(南足柄市)ほか10か村が酒匂川出水の際の人足提出などについて申し合わせる[県5-248]
8.6 大工町笹井与左衛門・与助が大願成就を記念して大稲荷神社に武人図絵馬を奉納する
8.9 大風雨により領内各地で被害が出る[Ⅲ-257]
8.━ 藩主上京中につき狩野村(南足柄市)で治安取り締まり強化を取り決める[南3-10]
9.18 久野村の寺子屋師匠伊東亦五郎が死去,京福寺に墓碑(筆子塚)が建てられる
9.━ 空き屋敷の目立つ万町が漁師2軒の再興を藩に願い出る[Ⅲ-255]
12.━ 秣場の入会権につき江戸上屋敷に愁訴した桑木村(小山町)・中丸村(御殿場市)惣代が入牢となったため,小前一同が助命を願い出る[御2-2-5]
この年 矢作村中芝原の小田原合戦で廃寺となったという超光寺跡に名主星崎宇三郎が発起人となり供養碑を建立する[金石3-60]
〃 悪疫流行の調伏のため桑原村塔ノ森に修行僧が経文を埋め,のちその跡に石塔が建てられる
国内・国際
1.15 将軍家茂,再び上洛する
3.9 朝廷の参与大名が一斉に辞任し,公武合体派が分裂する
3.27 水戸藩の天狗党が筑波山で挙兵する
5.16 将軍家茂,江戸に戻るため大坂より出航する
5.21 幕府,勝海舟を頭取とする海軍操練所を兵庫に開設する
5.━ 幕府,物価引き下げを触れる
6.5 新撰組が京都河原町池田屋に集結中の攘夷派志士を襲う
6.15 箱館に洋式城塞五稜郭が完成する
7.19 長州藩兵が御所蛤御門等で幕府軍と戦う(禁門の変)
7.24 幕府,長州追討の勅命を受けて西国21藩に出兵を命じる(第1次長州征伐)
7.━ 横浜生糸売込仲間90人余が取り扱い規則を定める[県10-613]
8.5 英・米・仏・蘭4か国連合艦隊17艘が下関を砲撃する(下関戦争)
10.25 天狗党,那珂湊で敗れ,武田耕雲斎らが西上する
11.14 長州藩が降伏する
12.2 一橋慶喜,天狗党の追討使を命じられる
12.16 天狗党が越前新保駅(敦賀市)で加賀藩に投降する