| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1870 |
| 年号 | 明治3年(1870)庚午閏⑩ |
| 君主 | 大久保忠良 |
| 政治・経済 | 2.21 吉野大炊介・関小左衛門の謹慎が解かれる[町誌上] 3.━ 久野堰改修のため塚原村(南足柄市)天王院境内の水車を移転する[南2-47] 5.3 伝馬制度を廃止し,新たに伝馬所を設置,馬士は相対雇いとする[町誌上]≪伝馬廃止≫ 5.4 北村快蔵,大久保忠礼宛てに藩役人の減員など改革を建白する 5.━ 関本村(南足柄市)が宿駅制度改正につき脇往還の駄賃・人足賃の増額を願い出る[南3-172] 6.12 小田原各町の役人を名主1名・取締1名・組頭1名に変更する[町誌上] 〃 伝馬役家・人足役家の区別を廃止し,総町で宿人足100人を負担する[町誌上] 6.13 町年寄を3名から2名に減員する[町誌上] 6.20 大久保忠良,元杉浦邸に引き移る[町誌上] 9.7 中宿町問屋場を廃止し,問屋場は高梨町1か所とする[町誌上] 9.━ 常備兵編制法にもとづき小田原藩も常備兵制に改める 10.18 小田原藩,家中の班席を廃止し,士族・卒の職員等級を定める[Ⅰ-294] ⑩.10 薪炭買い入れのため荻窪村に置かれていた生産方の会社を廃止する[町誌上] ⑩.17 小田原藩,小田原浦3台場の廃棄を政府に出願し,のち許可される ⑩.20 政府から小田原城の破却が許可される[町誌上] ⑩.24 小田原宿等で本陣・脇本陣の名称を廃止し,諸手当支給を中止する 11.7 小田原藩,藩制改革につき張り紙を出して諸願届則・俸給規定を定める[Ⅰ-295] 11.10 小田原城天守閣・櫓等が900両で高梨町平井清八郎に売却される[町誌上]≪小田原城売却≫ 11.18 小田原藩,村役人・百姓および組合取締役へ御規則を申し渡す[Ⅰ-296] 11.20 商社事業の悪化のため用達が発行していた永銭預かり切手を廃止する[町誌上] 11.━ 大久保家,経費捻出のため書画・骨董・諸道具・武器類を売却する[町誌上] 12.5 三筋取締役が在方取り計らいについて藩の民政役所に願書を提出する[Ⅰ-297] 12.16 忠良,徳大寺公純の娘照子と婚礼[Ⅰ-2] 12.26 小田原町役人が倹約・取り締まりと魚座役人の廃止を取り決める[Ⅰ-298] 12.━ 小田原藩,村役人の人数・勤務規定を定める[秦3-306] 〃 大久保忠礼の蟄居が解除され藩主補佐を許される[町誌上] |
| 社会・文化 | 1.15 千度小路・古新宿が独占してきた松原神社の御輿かつぎを氏子町からも出すように改める[町誌上] 3.15 堀川東斎,慶應義塾に入学する 4.13 地震が頻発するため松原神社で臨時の祈禱を執行する[町誌上] 8.10 本町因幡屋七右衛門宅より出火,3軒を焼失する[町誌上] 9.19 家中の散髪が県への届け出により許可される[町誌上] 9.21 伴小四郎,慶應義塾に入学する 9.24 山王口・板橋口・井細田口・早川口・唐人町・箱根口御門外の木戸が廃止される[町誌上] 10.18 堀宣之助,慶應義塾に入学する 10.━ 藩儒中垣秀実,文武館漢学一等教師となる 11.3 岡本徳太郎,慶應義塾に入学する 11.10 小田原町の宗門改め届け出箇所が茶畑町正恩寺から御役所へ変更されるが,実施されずに廃止となる[町誌上] |
| 国内・国際 | 1.3 政府,神道国教化のため大教宣布の詔を発する 1.27 日本商船に掲げる国旗として「日の丸」の寸法が定められる 2.27 相模国津久井県(26か村)が津久井郡となる 2.━ 東京―横浜―大阪―神戸間に廻漕会社が定期船の運航を開始する 3.19 政府,鉄道掛を設置する 4.24 政府,各府県に種痘の実施を命じる 5.1 イギリス人ブラックの編集による隔週刊誌『TheFarEast』が創刊する 5.28 集議院が開院する 9.10 政府,藩制改革の布告を発する 9.19 平民の姓(苗字)公称が許可される 10.9 岩崎弥太郎が土佐開成商社(のちの三菱商社)を設立し,東京―大阪―高知間に運航を開始する 10.16 高島嘉右衛門らが横浜で瓦斯社中(ガス事業)を結成する ⑩.20 政府,工部省を設置する 11.12 政府,1円銀貨を基本とする銀本位制を定める 11.13 政府,徴兵規則(府藩県1万石につき5人)を定める 12.8 最初の日刊新聞『横浜毎日新聞』が創刊する 12.━ 移民規定が定められ,北海道への移住が相つぐ この年 各地で寺院破却が行われる(廃仏毀釈) |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1870
年号
明治3年(1870)庚午閏⑩
君主
大久保忠良
政治・経済
2.21 吉野大炊介・関小左衛門の謹慎が解かれる[町誌上]
3.━ 久野堰改修のため塚原村(南足柄市)天王院境内の水車を移転する[南2-47]
5.3 伝馬制度を廃止し,新たに伝馬所を設置,馬士は相対雇いとする[町誌上]≪伝馬廃止≫
5.4 北村快蔵,大久保忠礼宛てに藩役人の減員など改革を建白する
5.━ 関本村(南足柄市)が宿駅制度改正につき脇往還の駄賃・人足賃の増額を願い出る[南3-172]
6.12 小田原各町の役人を名主1名・取締1名・組頭1名に変更する[町誌上]
〃 伝馬役家・人足役家の区別を廃止し,総町で宿人足100人を負担する[町誌上]
6.13 町年寄を3名から2名に減員する[町誌上]
6.20 大久保忠良,元杉浦邸に引き移る[町誌上]
9.7 中宿町問屋場を廃止し,問屋場は高梨町1か所とする[町誌上]
9.━ 常備兵編制法にもとづき小田原藩も常備兵制に改める
10.18 小田原藩,家中の班席を廃止し,士族・卒の職員等級を定める[Ⅰ-294]
⑩.10 薪炭買い入れのため荻窪村に置かれていた生産方の会社を廃止する[町誌上]
⑩.17 小田原藩,小田原浦3台場の廃棄を政府に出願し,のち許可される
⑩.20 政府から小田原城の破却が許可される[町誌上]
⑩.24 小田原宿等で本陣・脇本陣の名称を廃止し,諸手当支給を中止する
11.7 小田原藩,藩制改革につき張り紙を出して諸願届則・俸給規定を定める[Ⅰ-295]
11.10 小田原城天守閣・櫓等が900両で高梨町平井清八郎に売却される[町誌上]≪小田原城売却≫
11.18 小田原藩,村役人・百姓および組合取締役へ御規則を申し渡す[Ⅰ-296]
11.20 商社事業の悪化のため用達が発行していた永銭預かり切手を廃止する[町誌上]
11.━ 大久保家,経費捻出のため書画・骨董・諸道具・武器類を売却する[町誌上]
12.5 三筋取締役が在方取り計らいについて藩の民政役所に願書を提出する[Ⅰ-297]
12.16 忠良,徳大寺公純の娘照子と婚礼[Ⅰ-2]
12.26 小田原町役人が倹約・取り締まりと魚座役人の廃止を取り決める[Ⅰ-298]
12.━ 小田原藩,村役人の人数・勤務規定を定める[秦3-306]
〃 大久保忠礼の蟄居が解除され藩主補佐を許される[町誌上]
社会・文化
1.15 千度小路・古新宿が独占してきた松原神社の御輿かつぎを氏子町からも出すように改める[町誌上]
3.15 堀川東斎,慶應義塾に入学する
4.13 地震が頻発するため松原神社で臨時の祈禱を執行する[町誌上]
8.10 本町因幡屋七右衛門宅より出火,3軒を焼失する[町誌上]
9.19 家中の散髪が県への届け出により許可される[町誌上]
9.21 伴小四郎,慶應義塾に入学する
9.24 山王口・板橋口・井細田口・早川口・唐人町・箱根口御門外の木戸が廃止される[町誌上]
10.18 堀宣之助,慶應義塾に入学する
10.━ 藩儒中垣秀実,文武館漢学一等教師となる
11.3 岡本徳太郎,慶應義塾に入学する
11.10 小田原町の宗門改め届け出箇所が茶畑町正恩寺から御役所へ変更されるが,実施されずに廃止となる[町誌上]
国内・国際
1.3 政府,神道国教化のため大教宣布の詔を発する
1.27 日本商船に掲げる国旗として「日の丸」の寸法が定められる
2.27 相模国津久井県(26か村)が津久井郡となる
2.━ 東京―横浜―大阪―神戸間に廻漕会社が定期船の運航を開始する
3.19 政府,鉄道掛を設置する
4.24 政府,各府県に種痘の実施を命じる
5.1 イギリス人ブラックの編集による隔週刊誌『TheFarEast』が創刊する
5.28 集議院が開院する
9.10 政府,藩制改革の布告を発する
9.19 平民の姓(苗字)公称が許可される
10.9 岩崎弥太郎が土佐開成商社(のちの三菱商社)を設立し,東京―大阪―高知間に運航を開始する
10.16 高島嘉右衛門らが横浜で瓦斯社中(ガス事業)を結成する
⑩.20 政府,工部省を設置する
11.12 政府,1円銀貨を基本とする銀本位制を定める
11.13 政府,徴兵規則(府藩県1万石につき5人)を定める
12.8 最初の日刊新聞『横浜毎日新聞』が創刊する
12.━ 移民規定が定められ,北海道への移住が相つぐ
この年 各地で寺院破却が行われる(廃仏毀釈)