| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近現代(1871-2000) |
| 西暦 | 1941 |
| 年号 | 昭和一六年(一九四一)辛巳 |
| 政治・経済・社会 | 1.31 小田原職業指導所,小田原国民職業指導所と改称[355] 1.━ 小田原市銃後奉公会が結成される[60] 2.19 小田原市役所行政機構・事務分担が決定,8課(庶務・産業・学務・厚生・総務・会計・土木・水道),3出張所(足柄・大窪・早川)となる[Ⅱ-322] 3.8 第1回小田原市会議員選挙,定員30人に52人が立候補[204,290] 3.12 小田原市商業組合連盟・小田原商業報国会連盟(23商業組合)が結成される[Ⅱ-338] 3.20~30 第1回市会を開会[290] 3.25~31 足柄下郡町村長会,国策協力闇取引防止運動を実施[284] 3.27 初代市長に益田信世が就任[114] 4.1 小田原市,水産物指定陸揚地となる(県内ではほかに三崎・真鶴・大磯)[192,368] 4.7 小田原養蚕組合連合会が組織される[204] 4.23 小田原市軍友会発会式[290] 4.30 市会,旧足柄町・大窪村・早川村の財産維持管理処分のため区会設置を可決(1942年7月29日区会条例施行)[60] 4.━ 足柄下郡豆腐製造商業組合,組合員に転業を斡旋[204] 5.22~28 小田原郵便局,1世帯当り平均1か月8円の郵便貯金強調週間を実施[Ⅱ-339] 5.24 内閣印刷局酒匂工場建設に着手(1942年操業開始)[133] 5.━ 小田原・藤沢・平塚の3市,小田原まで東海道線電車運転区間延長を陳情[284] 6.10 国府津町・足柄米雑穀商業組合・国府津産業組合,食糧配給の一元化を県食糧課長に陳情[284] 6.14 小田原市職員報国団を組織[Ⅱ-386] 6.17 小田原振興会解散[294] 6.26 小田原市紋章・小田原市営水道標章・小田原市振興常設委員会規定を制定[88,290] 7.10 小田原市警防団を改組,15分団1381団員とする[88,204,290] 7.━ 行政区整備委員会を設置[290] 8.1 特設防護団を市役所内に設置[88,204,290] 8.━ 大雄山鉄道(株),駿豆鉄道(株)と合併(~1957年)[21] 9.18 市民防空講習会を開催[204] 9.25 足柄下郡旅館産業報国会(会長西山隆一)が結成される[204] 9.29 酒匂川改修期成同盟会,改修対策を内務省に陳情[204,290] 10.1 小田原市,銃後強化運動を通牒[Ⅱ-398] 10.25 八光会小田原支部結成式[204] 10.━ 県工芸指導所に竹細工部を新設[204] 11.1 湯浅蓄電池製造(株)小田原工場が開業[427] 〃 箱根登山鉄道,女性駅員を採用[281] 11.2 県臨時酒類配給組合小田原支部を結成[204] 11.3 富士写真フイルム小田原工場産業報国会青年隊を結成[204] 〃 足柄下郡在郷軍人会,時局対処講演会を開催[204] 11.17 大政翼賛会・大日本興亜同盟,興亜大講演会を開催[290] 11.19 市会,市制記念日を12月20日に決める[66] 〃 市会,宣戦大詔渙発に関する必勝決議・皇軍感謝を決議[Ⅱ-326] 12.13 明和銀行・(株)江陽銀行,営業を(株)横浜興信銀行へ譲渡,解散[284] 12.23 市内,味噌・醤油の配給制がはじまる[430] この年 片浦村江之浦農事実行組合(9月1日),米神農事実行組合(11月5日),根府川農事実行組合(11月17日)が設立される[147,176] 〃 上府中村貯蓄組合が設立される[228] 〃 市水道,夏季夜間は断水,1942年からは通年夜間断水となる[125] 〃 旭自動車(株),富士箱根自動車(株)に合併[224] 〃 (株)吉村工業所鴨宮工場(下府中村,現ピーエスコンクリート工場)が開業[313] 〃 酒匂川砂利(株)が設立される[101] 〃 国産電機(蓮正寺)が開業[66] 〃 足柄下郡・小田原市青果出荷組合を組織[204] 〃 漁業組合が漁業会に改組される[368] 〃 県産業報国会小田原支部の加盟団体は,湯河原温泉・日本加工織布・足柄建築・富士写真小田原支部・箱根物産・富士箱根自動車・西湘建築・足柄鉄工・神奈川県度器製作・足柄下郡製材・興亜工業・報徳製綿・昭和写真富水工場・真鶴海運・箱根登山鉄道の各産業報国会[180] 〃 西湘菓子組合(5月),足柄上・下郡食肉業者商業組合(10月)が組織される[204] 〃 小田原薬仁会が組織される[60] 〃 死亡者のうち肺結核による者が半数を占める[204] |
| 文化・教育 | 1.17 小田原国民文学研究会,旧小田原ペンクラブのメンバーを中心に組織される[Ⅱ-416] 1.21 小田原報徳顕彰会・新興報徳会・報徳社連合会,神奈川県報徳大会を開催[48,204] 1.27 小田原市制祝賀会を開催[204] 1.30 足柄実科高等女学校,小田原市立実科高等女学校と改称[92] 2.12 財団法人自修学園が設立認可され,校名を湘北中学校に改める[308] 3.29 小田原裁縫女学校(幸1丁目,設立者草山惇造)が設置認可される(~1943年12月)[48] 3.━ 小田原市・足柄下郡学校医会が設立される[23] 4.1 文武館,市に移管され,小田原文武館となる[204] 〃 小田原中学校・小田原高等女学校の校友会,報国団と改称[48] 4.1 本町・城内・新玉・足柄・芦子・大窪・早川の国民学校を設置[Ⅱ-384] 4.5 西相文化連盟発会式[88,204] 4.11 富士フイルム小田原青年学校が設立認可される[48] 4.12 小田原音楽協会,創立大会・記念大演奏会を開催[296] 5.5 足柄少年団結団式[13] 5.10 小田原市児童大会が開催される[425] 5.26 小田原滄浪閣跡に「伊藤博文胸像」と金子堅太郎撰文による「滄浪閣旧址碑」を建設,除幕式[78,204] 〃 足柄下郡教育会,下郡内教育諸団体と神奈川県職員報国団足柄下郡国民学校支部を結成,足柄下郡初等教育研究会は足柄下郡職員報国団となる[4] 5.30 私立専修学校(緑1丁目,設立者小林歛企)が設立認可される[48] 5.━ 小田原市教育会(会長益田信世)が結成される[294] 6.27 小田原国民文学研究会,室伏高信・加田哲二時局談話会を開催[Ⅱ-416] 6.━ 小田原生活文化協会が発足[114] 7.12 梅雨前線による豪雨,片浦村・下中村・国府津町と早川沿岸で浸水,土砂被害となる[88,147,284,290,321] 7.22 台風による大雨,早川沿岸で家屋流失・浸水被害,8月25日県水害対策協議会を大窪国民学校で開催[60,88,290] 8.━ 本町・城内・新玉の3青年学校を統合し,本町青年学校とする,9月3日始業式[88,290] 9.1 足柄下郡青少年団が結成される[430] 9.4 神奈川県尊徳会(会長松村県知事),桜井村栢山で発足[48,204,300] 9.12 小田原高等女学校で焼夷弾の実験を行う[57] 9.13 小田原詩歌会が発足[204] 9.26 大日本銃剣道振興会小田原市連合会発会式[88,204,290] 10.1~11.30 小田原国民文学研究会,皇軍慰問作品展示会を十五屋ウィンドウで開催[Ⅱ-416] 10.2 小田原国民鍛練所(練成道場星山寮)落成式[204] 10.11 上府中村青年団が結成される[204] 10.24 小田原国民文学研究会,「吉川英治を迎える夕」を開催,会場の本町国民学校の講堂は超満員[Ⅱ-416] 11.1~2 市内女教員の練成講習会を箱根道了山別院で開催[Ⅱ-386] 11.━ 市内学校生徒・児童の勤労奉仕がはじまる[88,204,290] 12.1 小田原市青少年団が結成される[48] 12.9 各国民学校で大詔奉読式,市内各種団体・市民が城内国民学校で戦勝祈願祭[Ⅱ-386] 12.━ 『相模合同新聞』,『神奈川日日新聞』に統合される[181] 〃 市厚生課,寺院での半鐘(梵鐘)・木鉦・大鼓の使用禁止を通達[204] 〃 小田原生活文化協会,市民戦時生活訓を各戸に配布[Ⅱ-407] この年 北條秀司,戯曲『閣下』により新潮文芸賞を受賞[131] 〃 県報国団足柄下郡支部,女教員修練講習会と男教員思想対策修練講習会を実施[4] 〃 大日本国防婦人会足柄下郡支部規約案を作成し,甲府連隊区司令官・横須賀海軍人事部長の監督指導をうけることになる[Ⅱ-399] |
| 国内・国際 | 1.16 大日本青少年団結成 2.9 県文化翼賛連盟創立大会 3.1 国民学校令を公布 3.3 国家総動員法を改正公布 3.10 改正治安維持法を公布 3.15 大政翼賛会県支部,市町村支部結成促進を通達 4.1 生活必需物資統制令を公布 〃 6大都市で米穀配給通帳制,外食券制を実施 4.13 日ソ中立条約に調印 4.16 日米交渉はじまる 4.━ 中等学校新入生制服,男子は国民服に戦闘帽,女子はセーラー服を廃止 5.8 初の肉なし日(毎月2回) 6.6 県,「銃後5訓」の周知徹底を通達 6.9 情報局の監督下に日本移動演劇連盟結成 6.22 独軍,ソ連領に侵攻,独・ソ戦はじまる 7.1 全国の隣組,一斉に常会を開く 7.18 第3次近衛文麿内閣成立 7.21 文部省教学局,「臣民の道」 7.25 米国,在米日本人資産を凍結 7.28 日本,南部仏印へ進駐 7.━ 海外航路休止となる 8.1 米国,対日石油輸出完全停止 8.8 文部省,学校報国隊の編成を訓令 8.30 重要産業団体令・金属回収令を公布 9.4 翼賛壮年団結成 9.11 防衛総司令部を創設 9.12 産業報国会,「働け運動」を開始 9.15 農林省,仲買制度撤廃を通達 9.18 県,結婚相談所を開設 10.1 乗用車のガソリン使用を禁止 10.15 ゾルゲ事件 10.18 東条英機内閣成立 10.30 12事業に重要産業団体令を適用 11.22 国民勤労報国協力令を公布 11.26 米ハル長官,新提案を提議 12.1 御前会議,対英・米・蘭開戦を決定 12.8 日本軍,マレー半島に上陸開始,ハワイ真珠湾空襲開始,米・英に宣戦の詔書(アジア・太平洋戦争はじまる) 12.10 マレー沖海戦 12.11 日独伊3国協定を締結 12.12 閣議,戦争の名称を大東亜戦争と決定 12.16 物資統制令を公布 〃 呉海軍工廠,戦艦大和を竣工 12.21 日本・タイ軍事同盟に調印 12.27 県下,アメリカ映画上映禁止 12.28 県,除夜の鐘禁止を指令 12.━ アジア・太平洋戦争勃発で株式相場高騰(~1942年11月) この年 防空ずきん・もんぺ・ゲートルの非常時服姿が急増 |
時代区分
近現代(1871-2000)
西暦
1941
年号
昭和一六年(一九四一)辛巳
政治・経済・社会
1.31 小田原職業指導所,小田原国民職業指導所と改称[355]
1.━ 小田原市銃後奉公会が結成される[60]
2.19 小田原市役所行政機構・事務分担が決定,8課(庶務・産業・学務・厚生・総務・会計・土木・水道),3出張所(足柄・大窪・早川)となる[Ⅱ-322]
3.8 第1回小田原市会議員選挙,定員30人に52人が立候補[204,290]
3.12 小田原市商業組合連盟・小田原商業報国会連盟(23商業組合)が結成される[Ⅱ-338]
3.20~30 第1回市会を開会[290]
3.25~31 足柄下郡町村長会,国策協力闇取引防止運動を実施[284]
3.27 初代市長に益田信世が就任[114]
4.1 小田原市,水産物指定陸揚地となる(県内ではほかに三崎・真鶴・大磯)[192,368]
4.7 小田原養蚕組合連合会が組織される[204]
4.23 小田原市軍友会発会式[290]
4.30 市会,旧足柄町・大窪村・早川村の財産維持管理処分のため区会設置を可決(1942年7月29日区会条例施行)[60]
4.━ 足柄下郡豆腐製造商業組合,組合員に転業を斡旋[204]
5.22~28 小田原郵便局,1世帯当り平均1か月8円の郵便貯金強調週間を実施[Ⅱ-339]
5.24 内閣印刷局酒匂工場建設に着手(1942年操業開始)[133]
5.━ 小田原・藤沢・平塚の3市,小田原まで東海道線電車運転区間延長を陳情[284]
6.10 国府津町・足柄米雑穀商業組合・国府津産業組合,食糧配給の一元化を県食糧課長に陳情[284]
6.14 小田原市職員報国団を組織[Ⅱ-386]
6.17 小田原振興会解散[294]
6.26 小田原市紋章・小田原市営水道標章・小田原市振興常設委員会規定を制定[88,290]
7.10 小田原市警防団を改組,15分団1381団員とする[88,204,290]
7.━ 行政区整備委員会を設置[290]
8.1 特設防護団を市役所内に設置[88,204,290]
8.━ 大雄山鉄道(株),駿豆鉄道(株)と合併(~1957年)[21]
9.18 市民防空講習会を開催[204]
9.25 足柄下郡旅館産業報国会(会長西山隆一)が結成される[204]
9.29 酒匂川改修期成同盟会,改修対策を内務省に陳情[204,290]
10.1 小田原市,銃後強化運動を通牒[Ⅱ-398]
10.25 八光会小田原支部結成式[204]
10.━ 県工芸指導所に竹細工部を新設[204]
11.1 湯浅蓄電池製造(株)小田原工場が開業[427]
〃 箱根登山鉄道,女性駅員を採用[281]
11.2 県臨時酒類配給組合小田原支部を結成[204]
11.3 富士写真フイルム小田原工場産業報国会青年隊を結成[204]
〃 足柄下郡在郷軍人会,時局対処講演会を開催[204]
11.17 大政翼賛会・大日本興亜同盟,興亜大講演会を開催[290]
11.19 市会,市制記念日を12月20日に決める[66]
〃 市会,宣戦大詔渙発に関する必勝決議・皇軍感謝を決議[Ⅱ-326]
12.13 明和銀行・(株)江陽銀行,営業を(株)横浜興信銀行へ譲渡,解散[284]
12.23 市内,味噌・醤油の配給制がはじまる[430]
この年 片浦村江之浦農事実行組合(9月1日),米神農事実行組合(11月5日),根府川農事実行組合(11月17日)が設立される[147,176]
〃 上府中村貯蓄組合が設立される[228]
〃 市水道,夏季夜間は断水,1942年からは通年夜間断水となる[125]
〃 旭自動車(株),富士箱根自動車(株)に合併[224]
〃 (株)吉村工業所鴨宮工場(下府中村,現ピーエスコンクリート工場)が開業[313]
〃 酒匂川砂利(株)が設立される[101]
〃 国産電機(蓮正寺)が開業[66]
〃 足柄下郡・小田原市青果出荷組合を組織[204]
〃 漁業組合が漁業会に改組される[368]
〃 県産業報国会小田原支部の加盟団体は,湯河原温泉・日本加工織布・足柄建築・富士写真小田原支部・箱根物産・富士箱根自動車・西湘建築・足柄鉄工・神奈川県度器製作・足柄下郡製材・興亜工業・報徳製綿・昭和写真富水工場・真鶴海運・箱根登山鉄道の各産業報国会[180]
〃 西湘菓子組合(5月),足柄上・下郡食肉業者商業組合(10月)が組織される[204]
〃 小田原薬仁会が組織される[60]
〃 死亡者のうち肺結核による者が半数を占める[204]
文化・教育
1.17 小田原国民文学研究会,旧小田原ペンクラブのメンバーを中心に組織される[Ⅱ-416]
1.21 小田原報徳顕彰会・新興報徳会・報徳社連合会,神奈川県報徳大会を開催[48,204]
1.27 小田原市制祝賀会を開催[204]
1.30 足柄実科高等女学校,小田原市立実科高等女学校と改称[92]
2.12 財団法人自修学園が設立認可され,校名を湘北中学校に改める[308]
3.29 小田原裁縫女学校(幸1丁目,設立者草山惇造)が設置認可される(~1943年12月)[48]
3.━ 小田原市・足柄下郡学校医会が設立される[23]
4.1 文武館,市に移管され,小田原文武館となる[204]
〃 小田原中学校・小田原高等女学校の校友会,報国団と改称[48]
4.1 本町・城内・新玉・足柄・芦子・大窪・早川の国民学校を設置[Ⅱ-384]
4.5 西相文化連盟発会式[88,204]
4.11 富士フイルム小田原青年学校が設立認可される[48]
4.12 小田原音楽協会,創立大会・記念大演奏会を開催[296]
5.5 足柄少年団結団式[13]
5.10 小田原市児童大会が開催される[425]
5.26 小田原滄浪閣跡に「伊藤博文胸像」と金子堅太郎撰文による「滄浪閣旧址碑」を建設,除幕式[78,204]
〃 足柄下郡教育会,下郡内教育諸団体と神奈川県職員報国団足柄下郡国民学校支部を結成,足柄下郡初等教育研究会は足柄下郡職員報国団となる[4]
5.30 私立専修学校(緑1丁目,設立者小林歛企)が設立認可される[48]
5.━ 小田原市教育会(会長益田信世)が結成される[294]
6.27 小田原国民文学研究会,室伏高信・加田哲二時局談話会を開催[Ⅱ-416]
6.━ 小田原生活文化協会が発足[114]
7.12 梅雨前線による豪雨,片浦村・下中村・国府津町と早川沿岸で浸水,土砂被害となる[88,147,284,290,321]
7.22 台風による大雨,早川沿岸で家屋流失・浸水被害,8月25日県水害対策協議会を大窪国民学校で開催[60,88,290]
8.━ 本町・城内・新玉の3青年学校を統合し,本町青年学校とする,9月3日始業式[88,290]
9.1 足柄下郡青少年団が結成される[430]
9.4 神奈川県尊徳会(会長松村県知事),桜井村栢山で発足[48,204,300]
9.12 小田原高等女学校で焼夷弾の実験を行う[57]
9.13 小田原詩歌会が発足[204]
9.26 大日本銃剣道振興会小田原市連合会発会式[88,204,290]
10.1~11.30 小田原国民文学研究会,皇軍慰問作品展示会を十五屋ウィンドウで開催[Ⅱ-416]
10.2 小田原国民鍛練所(練成道場星山寮)落成式[204]
10.11 上府中村青年団が結成される[204]
10.24 小田原国民文学研究会,「吉川英治を迎える夕」を開催,会場の本町国民学校の講堂は超満員[Ⅱ-416]
11.1~2 市内女教員の練成講習会を箱根道了山別院で開催[Ⅱ-386]
11.━ 市内学校生徒・児童の勤労奉仕がはじまる[88,204,290]
12.1 小田原市青少年団が結成される[48]
12.9 各国民学校で大詔奉読式,市内各種団体・市民が城内国民学校で戦勝祈願祭[Ⅱ-386]
12.━ 『相模合同新聞』,『神奈川日日新聞』に統合される[181]
〃 市厚生課,寺院での半鐘(梵鐘)・木鉦・大鼓の使用禁止を通達[204]
〃 小田原生活文化協会,市民戦時生活訓を各戸に配布[Ⅱ-407]
この年 北條秀司,戯曲『閣下』により新潮文芸賞を受賞[131]
〃 県報国団足柄下郡支部,女教員修練講習会と男教員思想対策修練講習会を実施[4]
〃 大日本国防婦人会足柄下郡支部規約案を作成し,甲府連隊区司令官・横須賀海軍人事部長の監督指導をうけることになる[Ⅱ-399]
国内・国際
1.16 大日本青少年団結成
2.9 県文化翼賛連盟創立大会
3.1 国民学校令を公布
3.3 国家総動員法を改正公布
3.10 改正治安維持法を公布
3.15 大政翼賛会県支部,市町村支部結成促進を通達
4.1 生活必需物資統制令を公布
〃 6大都市で米穀配給通帳制,外食券制を実施
4.13 日ソ中立条約に調印
4.16 日米交渉はじまる
4.━ 中等学校新入生制服,男子は国民服に戦闘帽,女子はセーラー服を廃止
5.8 初の肉なし日(毎月2回)
6.6 県,「銃後5訓」の周知徹底を通達
6.9 情報局の監督下に日本移動演劇連盟結成
6.22 独軍,ソ連領に侵攻,独・ソ戦はじまる
7.1 全国の隣組,一斉に常会を開く
7.18 第3次近衛文麿内閣成立
7.21 文部省教学局,「臣民の道」
7.25 米国,在米日本人資産を凍結
7.28 日本,南部仏印へ進駐
7.━ 海外航路休止となる
8.1 米国,対日石油輸出完全停止
8.8 文部省,学校報国隊の編成を訓令
8.30 重要産業団体令・金属回収令を公布
9.4 翼賛壮年団結成
9.11 防衛総司令部を創設
9.12 産業報国会,「働け運動」を開始
9.15 農林省,仲買制度撤廃を通達
9.18 県,結婚相談所を開設
10.1 乗用車のガソリン使用を禁止
10.15 ゾルゲ事件
10.18 東条英機内閣成立
10.30 12事業に重要産業団体令を適用
11.22 国民勤労報国協力令を公布
11.26 米ハル長官,新提案を提議
12.1 御前会議,対英・米・蘭開戦を決定
12.8 日本軍,マレー半島に上陸開始,ハワイ真珠湾空襲開始,米・英に宣戦の詔書(アジア・太平洋戦争はじまる)
12.10 マレー沖海戦
12.11 日独伊3国協定を締結
12.12 閣議,戦争の名称を大東亜戦争と決定
12.16 物資統制令を公布
〃 呉海軍工廠,戦艦大和を竣工
12.21 日本・タイ軍事同盟に調印
12.27 県下,アメリカ映画上映禁止
12.28 県,除夜の鐘禁止を指令
12.━ アジア・太平洋戦争勃発で株式相場高騰(~1942年11月)
この年 防空ずきん・もんぺ・ゲートルの非常時服姿が急増